司法試験に受かって、そろそろ弁護士になろうとしていた頃、まだ、実家にいたのですが、朝、父親と母親と3人で朝食のとき、母親が「あんたは、教科書(裁判)か、横田(騒音公害訴訟)か、どっちかにしなさいよ!」と言われました。当時、父は両方の弁護団長だったのですけども・・・(だからか。)ま、結局、両方、弁護団に加わりましたけど。
その後、弁護士なりたての頃、教科書弁護団で一緒になった先輩弁護士が「『仕事』だと朝、起こしてくれるけど、『活動(教科書裁判を含む)』だと起こしてくれないんだよ、奥さん」って愚痴をこぼしていて大笑いしたものですが、今はさほど笑えません・・・。
まあ、仕方ないですよね、生活とはともかくお金がかかることですし、偉そうなこと言っても、ともかく食い扶持が繋がれなけれは始まらない・・・そういうことだと思います。家族を持てば、なおさら実感します。
・・・今日の今日、波風立てずに、その意味で真面目に、たまにはボランティアなんかしても、とりあえずは、お金をせっせと稼ぐために働く、というのが、今の「正しい時代の価値観」かもしれません。
だから、その意味で、活動とか「余計なこと」をしたり、ともかく、「お金にならないこと」に力を入れたり、「自分や自分の家族のためにならないこと」、つまりは「他人のため」に頑張ったり、することは、ダメなことなのでしょう。まあ、そんなことないよ、っていう人も居てくれるとは思うのですが、実践となると限られた人たちなのでしょう。なにしろ、私の周りにも「デモ」程度でも出るのに躊躇する人、たくさんいますから。
もっともっとアウェー感のある、孤立するような、常識はずれの、意見表明なんて、ヘンな人だし、非国民だし、よくやるよ、で終わっちゃうでしょう。
こんな「価値観」自体を、いつかオセロゲームのように鮮やかにひっくり返して、逆転したいと思っています。「あの頃は、そういう人たちが虐げられていたのか」と歴史的に「転覆」したいです。
今、舐めている人たちに一泡ふかせたいし、本来、同じ境遇にいて、同じようなことを感じているのに声もあげられない人たちにも見せつけたい、そんな気持ちもあります。
なかなか出来ないかもしれないけど、それが目標。今、生きにくいと感じます。テレビの世界がくだらないと感じます。子どもたちに正しいことを教えるのが困難と感じます。
なんとか、白黒ひっくりかえそうと、ひるまず、日和らず、頑張りたいと思います。