内閣府が実施する「国民生活に関する世論調査」(2015)では、現在の生活に対する満足度の回答では「満足している(満足+まあ満足)」が全体では70.1%、年代別でもっとも高いの20代で79.2%とのこと(ちなみにもっとも低いのは50代で66.6%とのこと)です(『若者離れ』(電通若者研究部編))。
しかし、「自分」の将来に「不安(不安+どちらといえば不安)」と答えた若者は64.4%で、「日本」の将来については77.3%とのことです(同書)。
この本では、「若者は不満ではなく、不安を抱えているのです。」と指摘しています。
とはいえ、「今は、ちょっと前に比べて、すごい時代じゃないか。このインターネット、SNSでみんな世界に繋がっている。こんな素晴らしい時代ないじゃないか」という声も聞こえてきます。
大澤真幸氏は「30年—40年前と比べると、現在では、快楽や幸福をもたらすもの、便利なものがたくさんある。1980年代の初頭には、Wiiもプレイステーションもなかった。ファミコンさえなかった。携帯電話もスマホもなかった。そもそも、インターネットなどなかった。・・・こうした数々のよきことを考えると、現在の若者のほうが、過去の若者よりも幸福なのはあたりまえではないか・・・。」と自ら反論を措定しながら、
「幸福や満足の度合いを尋ねる質問への回答において鍵になっているのは、過去(の世代)との比較ではなく、未来との比較である。『現在の生活に満足していない』と答える者は、未来において、自分がより幸福になるだろうという期待や希望をもっているのだ。・・・『現在の生活に不満である』という回答は、未来への期待の反面である。しかし、未来に対して肯定的な期待や希望をもつことができないとすれば、どうであろうか。その人は、現在について、「幸福である」「満足している」と答えるほかないだろう」(『可能なる革命』)と推論しています。
そういえば、「うちのスタジオの若い連中にも酒の席で聞いてみたら、『今の若い人は努力が報われない映画は見ない』、『一生懸命生きてもダメでしたという映画は根本的にダメだ』と言われましたね。」と押井守監督も発言しています(『創造元年 1968』)。
さてさて、どう考えるべきか。若者ではない私たちは、「そんなことじゃあダメだ!未来に希望を持て!」と言うべきか、そもそも、言えるか。根拠なき「ポジティブ・シンキング」こそ、この時代をここまで格差拡大の酷い時代にした、という見方もあります。
「今だけ・金だけ・自分だけ」が新自由主義のキャッチフレーズのようですが、ローリング・ストーンズのミックジャガーが叫んだように「俺はぜんぜん満足してないぜ!NO,NO,NO!」と言える時代のほうがよかったのかもしれません。
ウチにも10代の若者がいますが、ともかく、この「展望(未来)なき世界」を作ってきたのは私たち大人。だから自分自身の満足度・幸福度は低いのだろうけど、だからこそ、もうひと頑張りしないとね!って思う次第です。
I can’t get no satisfaction!