弁護士なので、依頼者の代理人・弁護人として動きます。時に、依頼者と「共に」裁判所や警察署、国税局その他役所で「仕事」をします。
その時、よく思う違和感は、依頼者の裁判所・検察庁・警察署・その他役所等に対する「信頼感のあり方」です。
一言で言えば、依頼者は、役所(公権力)は、私が助けを求めれば「わかってくれる」という風に思っているようなのです。
私は弁護士として、公権力は、鋭く法的に正しく、かつ、事実を正確に突き付ければ、こちらの意向通りに動かすこともできる、という感覚はあります。
しつこく、諦めずに、首根っこを掴んで、揺さぶれば「わかってくれる」場合もあると思っています。それはそれで、そういうものだし、そんなもんだろう、という感覚です。例えば、刑事裁判で無罪を争う場合には、裁判所に無罪を書いてもらいやすいように「材料」を準備してあげる、のではなく、放っておけば平気で有罪の判決を書く裁判官に、目を覚まさせ、ちゃんと真面目に仕事をするように脅しをかけ、「ちゃんと仕事をしないとただではおかないからな!」的なプレッシャーを与えてあげられた場合、無罪=つまりちゃんとした仕事をさせてあげることができる、という感覚です。
なので、今日も権力を握っていると思っている(民事)裁判官に「きちんと証拠に基づいて判断せよ!」という当たり前の「圧力」をかけてきましたが、押し込んで、押し込んで、しつくこく押し込んで、やっと公権力に「真面目に、まともに」仕事させるのが弁護士の仕事、なのだと思います(メディア等で、あたかも裁判所が無罪を自分で・書いた・みたいに報道されると「チャンチャラおかしい」と思っている刑事弁護人は多いと思います)。
国家機関は、いわゆる「善意」では動いていません、当たり前ですけど。放っておけば、戦争法を成立させ、盗聴法を拡大し、あわよくば「新共謀罪」を成立させ、そのあげく、「合法だったんで」と言い訳して、私たちにひどいことするのが公権力という(歴史的認識)ことです。
なので、裁判官や、調停委員や、警察官や、国税局職員に、「私はこんなに困ってるんです」と伝えて、結局は弱みをみせてしまう依頼者には、ちゃんと注意しとかないとな!と(激しく)自戒してしまいます。
ともかく、国家権力を賢く利用することはあっても、「お願い」したり、「助けてもらう」ことはないと思います。気をつけてくださいね、皆さん。
