責任あるポジションでその役割を果たす、結果、惨禍をもたらした場合、その責任あるポジションを担当する「個人」は「個人としては」免責されるということでしょうか。
いつだって、自分の自分としての決定・決断を避ける人、避けたい人というのが21世紀の今も居ます。いや、たくさんいるような気がします。そんなことないかな?それとも自分も・・・
決めない、ということが一番、免責されるからでしょうか。「よくわからないから」というのがその言い訳。まあ、子どもなら仕方ないでしょう。しかし、大人でも、ともかく責任をとりたくない、そういう発想がますます蔓延しているような気がします。
ところで、敗戦を認めた(認めざるを得なかった)1945年8月14日の「日本の一番長い日」に日本政府がそそくさと決めたことは、自分たちの証拠が追及されないように各官庁の証拠書類を隠滅することです。「天皇の責任回避」という名目もあったのかもしれませんが、いずれにせよ責任回避の決定です。治安維持法の適用による裁判の記録を含めて。・・・せこいなあ。
8月14日までが「戦前」だとすると、戦前の天皇及び軍部を含む日本政府は誇りをもって歴史に記録を残すつもりの活動を行っていたわけではない、それどころか、恥ずかしい記録を抹消することを「戦後」の出発点にしたいと考えていた、意思一致していたということです。それは、裁判官ら司法関係者らも含めて。
「あれは俺の意思ではなかったのだ、役割だったから仕方なかったのだ」といいつつ、その(天皇やら首相やら陸軍大臣やらの)ポジションでの責任も免れようと必死だったということです。・・・カッコ悪いよなあ。
結局、「天皇制」は戦勝国アメリカ政府の統治政策の一環としてより曖昧な「象徴天皇制」として存続され、それに抵抗することなく昭和天皇は戦前の延長で責任を取ることなく戦後まで残ってしまいました。
「ああ、責任というのは取らなくてもいいんだ。エライ人ほど責任なんて取らないし、むしろ燃やしちゃうんだ」という「戦後」の常識の起点がそこにあると思います。
「そんな厳しいこといったら、みんな責任あるんじゃないの?」そうでしょうか、赤紙で動員された兵士も? いや、そうかもしれません、もっともっと徹底的に逆らうべきだったのかもしれません。
どの時点で? 治安維持法施行の時点? 戦前の共産党が弾圧された頃?
21世紀の日本では、それは、いつになるのでしょう?
責任とりたくなくても、責任の証拠を隠滅しようとも、無答責といってみたとしても、「国体護持」とうそぶいてみても、歴史は人が作るものであり人に責任があります。「終戦」の決断だけできて「開戦」の決定には責任がない、なんてありえないですよね?
とりあえず、今、やることやっておかないと、と焦ります。結局は責任あるからね、私(たち)に。