50歳を過ぎて、やはり人生の「残り時間」という風に考えるようになりました。ぜんぜん成長できていないし、自信も深まらないままに・・・。
しかし、残り時間だったのは、別に若い時からそうだったわけで、後の時間を有効に過ごそう、という発想を持つこと自体、それほど悪いことではないと思います。
腹違いの兄の介護の問題や若くして亡くなる知人のことなどを考えるにつけ、やはり生きている限りは厳しくても、苦しくても、頑張らねば!と思います。
一つは、「仕事」をしたい、と思います。ここで私が思う「仕事」とは、生きてゆく糧を得るための仕事(だけ)ではなく、「自分がこれをやった」と痕跡を残せるような「仕事」です。歴史的な痕跡、といってもいいけどね、恥ずかしながら。
そういう「仕事」をしたいです。そういう仕事をしようとした、でもいいのかもしれませんが、「意味」のあることをきちんとした、しようとしたという人生をなんとか送りたいなあ、ということです。
そして、そのためには、死ぬまで生きたい、と思います。死ぬまで生きる、当たり前じゃない?それはそう。それはそうだけど、「余生」なんかいらないから、ぎりぎりまでやりたいことか、やるべきことをやり続けたい、ということです。
やりたいことか、やるべきこと、です。そのためには、まず、健康であることが必要だろうし、気力も必要だろうなあ、と思います。
21世紀の今、私が考えている「仕事」は、新自由主義的な価値観からは、評価されないことだと思います。「そんなことないよ」と本気で思い、おべんちゃらではなく言ってくれる人は案外少ないのが現実でしょう。イマドキ、お金にならないことなんて(タテマエはともかく)なかなか仕事してる、とは評価されません。
その厳しさも実感しています。生きるためには稼がなければならない、今。それでも、その価値だけに捉われずに、何か・経済評価とは別の・この世界に必要な「仕事」をするために、死ぬまで生きたいな、と思う次第です。
試みは少しはしてきました。しかし、まだ、何もしていません。なので、これから「仕事」をしたいと思います。
有言しとこ。2016.8.13 54歳