選挙に向けて THINK! DON’T FEEL の局面 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 ブルース・リーは、カッコイイし(と思う世代だし)、FEEL! DON’T THINK(感じろ!考えるな)の場面が、人生には多々あると思います。私も「ロック世代」の端くれだから、どうしても「フィーリング」「感性」「直感」みたいなものを信じて進む、みたいな世界に憧れます。

 しかし、やはり、そうではない場面(局面)もあるのではないでしょうか? 「よく考える」べき場面です。こういうことを言うと、攻撃を受けやすいとは思います。「上から目線」だとか、「野暮ったい」とか、「余計なお世話だ」とか、「面倒クサイ奴だ」とか、「偉そうに、自分だけわかったようなこと言いやがって」とか・・・。

 まあ、そうかもしれません。私も誰かから言われたら、いやだな。俺は、俺の感性でやってきてんだよ!って反撥しそうだな。

 しかしながら、2016年の、この時代のきな臭さ、というか、ヤバさ、というのは、「直感的」にもまずいのでは?と思います。私が弁護士になった1991年頃には、「改憲」なんてタブーでしたし、「周辺事態法」も「有事法制」も「日の丸君が代法」も、「盗聴法」も、もちろん、「特定秘密保護法」も「安保法」もありませんでした。

 急速に、戦争・戦時国家体制が構築されてきてしまいました。止められませんでした。・・・これって「やばくね?!」ってことなんだと、思います、「感性」でも。

 さらに、問題なのは、しかしながら、こういう時代ほど、つまり、99%側の大衆としての生活が経済的に厳しく、将来に展望が持てず、だからこそ、目の前の現実から目を背けて、「夢」を持ちたい、感じたい(FEELしたい)、そこに、す〜っと近づくのが、ナチスやスターリン主義ソ連のような全体主義の甘い誘惑だということです(でした)。

 ハンナ・アーレントは「・・・大衆は目に見える世界の現実を信ぜず、自分たちのコントロールの可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それ故に彼らにはある種の想像力が発達していて、いかにも宇宙的な意味と首尾一貫性を持つように見えるものならなんにでも動かされる。事実というものは大衆を説得する力を失ってしまったから、偽りの事実ですら彼らには何の印象も与えない。大衆を動かし得るのは、彼らを包み込んでくれると約束する、勝手にこしらえ上げた統一的体系の首尾一貫性だけである。あらゆる大衆プロパガンダにおいて繰り返しということがあれど効果的な要素となっているのは、大衆の呑み込みの悪さとか記憶力の弱さとかの故ではなく、単に論理的な完結性しか持たぬ体系に繰り返しが時間的な不変性、首尾一貫性を与えてくれるからである。」(『全体主義の起原3』)と指摘し、「全体主義組織に組み込まれる以前の現代大衆のメンタリティ」として、目の前の「事実」を見て考えるよりも、ある種の美しい首尾一貫(して見える)「夢」を信じることに惹きつけられてしまう、と分析しています。いかがでしょうか、今またその危険はありませんか?

 いや、改めて「感じる」ことは大事だと思います、結局は、未来を具体的に感じたり、他者の傷みを感じとったりすること、なのだろうから。ただ、その「前提」として、まず、この「世界」の「現実」を知り考え、それから、感じよう、ということだと思います。

 見せかけの「言葉」=「これからのニッポン」とか、「レボルーション」とか、「この豊かで美しい国」、みたいなムードを振り切り、まず、考えましょう。とりあえず、感じるな、考えろ!あえてのTHINK! DON’T FEEL。疑う感性や、反発するタチもロックだしね。皆が、FEELに流されそうだから、歯向かってTHINK!で。