先日、弁護士仲間で行っている歴史研究会で滝川事件をテーマにしました。滝川事件というのは、戦前1933年の京都大学の滝川教授に対する思想弾圧事件(京大事件とも呼ばれます)であり大学の自治との関係でも問題とされる事件です。
1933年といえば、ナチスが政権を握り、日本においても軍部が台頭した、いわば、この後、戦争に向かう恐ろしい時代の転換点にあたる年です。
1928年3月 3.15事件 治安維持法適用
関係団体を解散 緊急勅令により最高刑を死刑
6月 張作霖爆殺 満州某重大事件
1929年 世界大恐慌
4月 4.16事件
1931年 柳条湖事件 満州事変
1932年2月 血盟団事件
3月 「満州国」建国宣言
5月 5.15事件
1933年 滝川事件
1935年 天皇機関説問題
1936年 2.26事件
滝川幸辰(ゆきとき)という人は、京都帝国大学法学部の刑法・刑事訴訟法の教授であり、当時、高等試験司法科委員をされていました。何が問題になったかというと、ひとことでいえば大学教授の「赤化」の疑い、ということです。
治安維持法の立法意図同様、共産主義・社会主義思想の弾圧であり、当時、裁判官の「赤化」も攻撃の対象になっていたのですが、それが帝国大学の教授にも及んできた、ということです。
きっかけの一つは、1932(昭和7)年10月 中央大学で行った「トルストイの『復活』に現れた刑罰思想」という講演とのことで、
「レーニンはトルストイの無抵抗主義が、ロシア革命を10年 おくらせたといって歯ぎしりした。またルナチャルスキーは、トルストイ主義がマルクス主義の正面の敵でないにしても、じつに頑固な、力強い敵であったといって、トルストイ主義に含まれている反革命要素にごうをにやしたくらい、トルストイは現代のロシアのじゃま者である」
という冒頭の話から当局は「共産主義」との結びつきをとらえたとのことです。
さらに、1933(昭和8)年4月10日、内務省が滝川教授の一般向けの本『刑法読本』を発禁処分にしました。何が問題になったかというと次のような解説(『昭和史発掘4』松本清張)。
内乱罪について
*「内乱というのは国家の基本組織を破壊すること、つまり革命を意味する。刑法は『朝憲の紊乱することを目的として暴動をなしたる』行為という言葉をもって表示している。単に暴動があるだけでは内乱罪ではない。
朝憲紊乱の目的のあることが要件となっている。行為の違法性が行為者の心理状態に関係する場合—主観的違法要素を必要とする場合—の一例である。内乱の目標は現実の国家組織の破壊である。したがって、これは現実の国家にとって最も恐るべきものであり、極力これを弾圧する必要がある。しかし、行為者の動機は必ずしも濱斥すべきものではない。かえって彼らは人類のより幸福な社会の建設を目標として現実の社会の破壊を企てるものであって、結果からいっても、もし、内乱が成功すれば、行為者の支配者の地位にとって替るわけである。『幸福の革命家の道は、タルペーヤの岩を超えてカピトールに通ずる』という言葉どおりである。大きな目から見れば、彼らの動機・行動が悪いから罰せられるのではなく、ただ破れたから罰せられるだけの話である。」
姦通罪について
*「妻が夫以外の男と性交関係を作ることが姦通である。現行刑法は妻の姦通を犯罪とするにすぎない。妻は経済的に夫に従属しているので所有物と同視されたのである。女の経済的独立が確立しない限り男女を平等に取扱うことは困難であるが、男の姦通のすべてを許し、女の姦通のすべてを犯罪とする現行刑法や、中華民国刑法は、あまりにもアジア的である。男女を平等に罰するのがドイツ刑法、男女とも全然罰しないのがソビエト刑法、女に対しては無条件に、男に対しては制限的に犯罪の成立を認めるのがフランス刑法である。立法論としては全然罰しないのが最も望ましいが、そのためにはどうしても男女平等の経済的地盤が前提となる。」
結局、5月26日、文官分限令により滝川教授に対し休職令が発令されました。
しかし、これに対し、まず、学生たちが猛反発。同日、法学部学生大会が開かれ総退学宣言が決議され、1300通の退学届が集約されました。
さらに法学部の教授31名ほか全教官は辞表を提出し抗議の意思を表明しました。これは、結局は分断されますが、大きな抵抗だったと思います。
そして6月下旬の『中央公論』『改造』『経済往来』などの雑誌はこの事件の特集号のようなもので文部省を弾劾。
先日の研究会で確認されたのは、改めてこの1933年を見ると、まだまだ、労働争議、小作争議はかなりの数が記録されており、そして、このように、権力のデタラメな思想弾圧、大学自治破壊に対しても、学生、教授、そしてジャーナリズムの大きな闘いがあったのだ、決して暗黒一色の時代ではなかったのではないか、という捉え方です。
確かに、この後、天皇機関説事件、226事件と続き、時代は弾圧と戦争の時代に突き進みますが、この時点では、きちんとした民衆の闘いはあったのです。このことは重要だと思います。この1933年に比べて今はどうか。私たち自体が、何とかできる可能性はずっと高いと思うし、やれること、試していない闘いがまだまだあると思います。歴史を学んでいる以上、1933年の人々よりも頑張れないわけはない、と思うのです。