今月30日に東京地裁で、2012年12月に提訴した横浜事件国家賠償事件の判決が下されます。
特定秘密保護法や刑事訴訟法改悪=国家が多くの秘密を持つこと認め、反面、私たちの行動はつぶさに盗聴したり自白を強制する取り調べ録画制度を導入し、新たな監視国家化が進められている中、裁判所が、過去の治安維持法違反事件について、「今」どのような判決が下すか・・・・ポイントは以下の点です。
私たちは、私たちのいわば「常識的な」歴史認識として、戦前と戦後は大きく変わった、戦前の政府は酷かった、戦前は、思想弾圧や拷問やそして国家の隠蔽体質はあったけど、戦後、それらは全て改まったのだ、というものがあったと思います。
そうでしょうか?戦前と戦後は断絶しているのでしょうか。
実際には、国家は、戦前の「拷問」、さらには「自ら行った判決・訴訟記録の焼却による証拠隠滅」すら、「今も」認めていません。つまり、今の国家は、戦前の自らの過ちを認めることができない自己同一性を持った存在、だということです。国家自身としては少しも「戦前/戦後」は断絶せず連続しているのです。
実質的にも、反体制思想に対する弾圧、自白強要の捜査方法、そして不都合な事実は隠蔽する体質は変わっていません。マスメディアからは弾かれるている事実ですが・・・。
そのような捜査機関の自白強要に片目をつぶり、証拠不十分でも自白をつまみ食いして有罪判決を連発する今の裁判所に、かつての国家、そして裁判所自身を裁けるか?・・・がポイントです。
具体的には、私たち原告弁護団が提起した
1、 横浜事件において元被告人らに対し拷問がなされた事実及びそれについての特高刑事、検事、予審判事、裁判所の国家責任
2、 横浜事件の判決及び訴訟記録を裁判所自身が焼却した事実と国家責任
を裁判所に認定させることができるか、という点です。
これまで、裁判所も「敗戦に終わった直後の米国軍の進駐が迫った混乱時に、いわゆる横浜事件関係の事件記録は焼却処分されたことが窺われる」という程度の曖昧かつ責任性を明確にしない判断しかしていません。もちろん、「拷問」については、刑事補償決定において突っ込んだ認定はしましたが、それは有罪判決についての故意・過失についてであり、「拷問自体」についての国家責任ではありません。
さらには、この国賠訴訟においても、この点=拷問と証拠隠滅につき認めない現在の国家の姿勢自体も裁かせたいところです。
もちろん、裁判所に裁判所を裁かせる、自らの責任を認めさせるというのは一種の矛盾であり、私たちは裁判所に期待しているわけではありません。期待するのは私たち弁護団自身に対してであり、注目する皆さんに対してです。あくまでも、いかに裁判所に押し込めるか、逃げられないようにできるか、です。裁判所にいい判決を出してくれとお願いするのではなく、裁判所に出させるのが権力闘争としての訴訟です。どこまでいっても裁判所との闘いなのです。
そして、諦めない闘いとして、木村亨さんや父に責任を負いつつ。国家責任を追及するということは追及する主体=自分の責任をも追及することになります。さて、どのような判決が出るのでしょうか?