オバマ広島来訪という「攻撃」の意味 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 弁護士になって早々、いろいろな刑事事件を担当しました。当然、犯罪は行ってしまったことは前提に、どう彼の立場で弁護士するか、という事件が圧倒的に多かったです。

 そうすると、一つの「弁護活動」として、被害者宅に訪れ、焼香させていただき、示談の提案をまずは聞いてもらう、という作業があります。

 そもそも、その場面に至ることが困難です。交通事故、痴漢、強盗強姦、様々な事件で示談を試みましたが(いずれも示談できましたが)、そもそも「電話すべきか、手紙か、電話なら何時ころか」というところから始まり、「話を聴いてもらうために何をすべきか。何をいうべきか」という問題にぶち当たり、さらに、実際に会うことが出来たとして、「どのように謝意を伝えるか。そもそも弁護士が何を伝えられるのか」と思います。

 それほど、反省と謝罪を伝える、ということは難しいと同時に、当然ながら「目的」がある、ということです。

 オバマ大統領の広島訪問は、どこかしら弁護人の謝罪に似ていると思います。彼にとっては、原爆を落としたことに対する個人的な規範的な反省が生まれることは難しいでしょう。彼の決断でも行為でもないからです。

 同時に、核兵器を減らすという現実的行為についても、同じく責任を特に感じてはいないでしょう。「立場」があって、実績的にも「503核弾頭」減らしただけで、ブッシュ親子やクリントンに比べても圧倒的に実績は少ないという現実の「行為」から判断できます。

 いくら言葉で「核なき世界」と言ってもねえ・・・虚しいよねえ・・・

 そんなオバマ大統領が、それでも、何かしらのイメージを作出するために広島を訪れるのは、弁護人が「示談」をまとめることと同じく「目的」があってのことでしょう。弁護人の場合には、それでも「謝意」を真摯に伝え、許しを請う、という目的があります。では、オバマ大統領は?

 それは、日米の軍事同盟を強固にし、この春、ずっと展開していた北朝鮮への軍事挑発の仕上げには日米韓での軍事協力を再確認する、ということが第一の目的でしょう。そして、広島への原爆使用の過去に「区切り」をつけ、さあ、これからは、それを忘れて、核を新たに開発する国には、制裁をあたえようぜ、場合によっては核兵器で、という「新しい時代」を切り開くためではないでしょうか。

 オバマ大統領がどこに行こうが、何を言おうが、アメリカ国が、持っている核兵器を廃棄する予定はまったくありません。実際に行われたのは最大規模の米韓軍事合同演習という実質的な軍事挑発です。

 それが「現実」。それにもかかわらず、何かを「ありがたがり」、アメリカ国とオバマ大統領の人格的一致の幻想に揺さぶられるのは、おかしいと思います。

 もし、アメリカ=オバマなら、明日、アメリカ軍の軍縮を決定する、もしくは、昨日、決定してから報告に広島に訪れればいいのであり、何も「実践」を伴いわないアメリカ大統領の広島訪問の軍事的・世論的誘導戦略を断固、弾劾しておきたいと思います。無益、なのではなく、有害だと思います。