憲法記念日 に改憲阻止の実質を考える | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 明日は、憲法記念日。改憲をめぐっては、様々な議論が展開されています。NHKのアンケートによっても、改憲必要ない、が増えてきたようです・・・ふむふむ。

 私も改憲阻止の立場ですが、別に現憲法が無謬の不磨の大典と考えているわけではないし、愛おしいわけでもありません。「現状では」改憲反対、ということです。

 つまり私の改憲阻止は、政治的判断であり、社会的・歴史的状況下における選択です。

 もちろん、現憲法にはいいものが一杯つまっています。しかしながら、もちろん、現憲法自体、時代的・政治的産物ですから、不変の価値観で作られたものではなく、戦後の政治的な駆け引きの中でできたもので、ある時代、ある政治体制の選択がなされているわけです。

 天皇は「象徴」というよくわからない形で残されているし、私的財産制(資本主義)は憲法29条に示されているわけだしね。

 ということで、当たり前ですけど、ぜんぜん完璧なものではありません。けど、現状、これを変えるのは反対ということで、それは、立憲主義だとか、憲法改正の限界だとか、まあ、そういう法的な枠組みの話ではなくて、改憲を求めているのが、戦争をし、人々を抑圧し、一部の資本家のエージェントであることがむき出しの勢力(政権)だから、という「実質的な」理由によります。

 私としては、「憲法違反だから」とか「立憲主義に反するから」というのは、小学生の時の学級委員タイプが「決まりに反するから」と言っているのと同じように感じます、なので、実質的な意味についての議論をしたいと思っています。

 そうすれば、何で、誰が、戦争をしたいのか、とか、なんであいつは金持ちで、俺は違うのか、それはしかたないことなのか、変えられないのか、とか、どんどん実のある議論ができると思います。

 まあ、そういうことが、もっとも嫌われるわけですけどね。現体制を擁護したい人たちからは。

 憲法を変えるか否か・・・それは、重要な旗印ですが、実際は、世界をどう変えるか、否か、という実質が問われている時代であって、今日、安全な言論であっても明日はわからないのと同じように、今日は危険で違法で「過激」であっても、明日には(いや明後日には?)、栄光(革命)を意味することもあるのでは?・・・そんな時代ではないかなと思います。

・・・・にしても、労働法制改悪反対で・・・フランスの若者は元気だなあ。