ヘイトスピーチの法規制で何がどうなるか | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

ブログの説明を入力します。

 ヘイトスピーチ、つまり、特定の民族や人種などを標的にして差別を煽る言動の規制をめぐって法案が今国会で成立が目指されています。

 そもそも、言動、つまり表現の自由に対して、新たに法律で規制することの是非をめぐって、私たちの中でも議論は分かれています。

 もちろん、ヘイトスピーチがいい、という人はいない、のが大前提です。差別的発言を肯定する人はなかなかいないでしょう(意識/無意識に行っていても)。

 私は、基本、法規制には反対です。しかし、友人でもある熱血漢の金竜介弁護士(在日コリアン弁護士協会代表)は、そういう立場について「弁護士や学者には『表現の自由』の観点からヘイトスピーチの法規制に消極的な人がいる。ある学者は、女性をステレオタイプに描く演歌までもが差別だとして禁止されてしまう、と主張するが、ヘイトスピーチの被害の深刻さを知らない見当違いの批判だ。(朝日4/30)」と批判しています。

 さらに、彼は指摘するヘイトスピーチを放置すれば「甚だしい場合は、関東大震災の際、広まったデマで朝鮮人が虐殺されたような悲惨な事件を引き起こしかねない」としていますが、その点は強く同意します。

 それでも、私が、法規制に反対するのは、私の表現の自由が国家権力その他から規制される経験をこれまで多々してきたからです。追い出されたり、制限されたり、退会させられたのはまさに私の表現と思想です。私の暴力ではないし、反資本主義的であったり、反体制的であったりしても、規制されたのは、私の言動にすぎません。国家権力は、そういうことをするのです。そのような現体制の国家権力に対する徹底的な不信感があります。

 もちろんヘイトスピーチはよくない、でしょう。私もこのような時代、排外主義的ナショナリズムを最も警戒しなければならないと感じています。まさに、ヘイトスピーチは排外主義の典型的な表れだと思います。

 私たちは内なる差別意識と排外主義を克服する必要はあると思います。お互いの国の民衆同士が憎み合う理由はまったくないからです。

 ヘイトスピーチを求めているのは、国家権力です。国籍、民族を超えた階級的な99%側の団結を分断し、戦争に動員する、それが目的となります。関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺も朝鮮侵略(併合)下の民衆労働者の国際連帯の可能性があったからこそ、それを恐れて権力がデマをあえて流通させ、分断を測ったという側面は無視できません。

 国家権力は、規制の名のもとに現体制の利益のための行動をします。それが、歴史的事実です。

 金弁護士は「『法規制以外で対抗すべきだ』とする弁護士が、それを実践したのをみたことがない。」と鋭く批判します。・・・たしかに、そうかもしれません。まだまだ、ヘイトスピーチ、そして排外主義との闘いは不十分でしょう。しかし、新自由主義政策と闘う労働組合は、世界各国に存在し、国際的に連帯していこうという繋がりを求める集会やデモはここ数年増えていると思います。

 ヘイトスピーチの深刻な現場は、本当に許せないものだと思います。しかし、国家権力の規制で解決できるとは思いません。排外主義的ナショナリズムを克服するのは一筋縄にはできません。

 しかし、それでも排外主義に国家の規制で対応することは、原理的には矛盾だし、そもそも、国家権力に利用される危険性があまりにも・・・「演歌」はともかく・・・恐ろしいと思います。