何故、「共産主義」は嫌われるのか? だけど、お前の私有財産はすでに奪われてるぞ! | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 ジョンレノンがimagineで、 Imagine no possessions(「所有」という概念すら無いと想像してごらん)と歌ったがために、放送禁止にたびたびなった、という話は前に書きました。
  http://ameblo.jp/mfb1991/entry-11908915398.html

 今般、『共産党宣言』なう、というブログをFB憲法9条の会というところに投稿したところ、削除、退会という処分にあいましたが、これも放送禁止のようなものでしょうか。

 今、戦前1925年~35年頃の、治安維持法が施行され、戦争に向かう時代の京都学連事件とか滝川事件などの歴史を調べているのですが、いわゆる権力が行う弾圧、そして、民間に伝染していく偏見に基づく様々、処分も結局は、共産主義・社会主義・無政府主義などの思想が対象とされているのであり、それは今も同じなのだなあ、と感じます。あまり、一般論で、思想の自由とか表現の自由とか、差別、検閲はダメ、と言ってみたところではじまらない、と思います。

 さて、いかほどかように共産主義的発想は嫌われるのか・・・その中心にあるのは、もちろん、方法論としての「革命」への現権力側の嫌悪もあるでしょうけれども、核にある発想は、やはり、ジョンレノンも歌うところの「私有財産制の廃止」という概念ではないでしょうか。

 この点を、くだんのブログでも紹介しました。まあ、ホント、『共産党宣言』で説明されている内容なんて読みもしないまま、勝手に偏見を持たれている部分で、ゆえに、無知な攻撃にさらされることも多いところです。

 まるで、私たちが今持っている物、もしくはいつか持つことができる物(幻想であっても)を奪われるかのような、ね。

 しかし、マルクス・エンゲルスの意味でいえば、すでに、世界の99%側にとっては、私有財産なんてとっくに奪われているし、廃止されているのです。

 99%(『共産党宣言』の時代だと9割、とされていたような)が所持している物なんて別に「私有財産制の廃止」の対象になっていません。

 だから、マルクスらがいうところの「私有財産制の廃止」により、何かを奪われたと感じるのは、1%側であり、もし、その所有をする自由を人権(財産権)というのであれば、その人権を侵害することにはなるでしょう。

 誰かの人権を侵害する以上、ダメ? 話し合いで解決? というかこれくらいの格差は仕方ない?

 ま、この辺をどう考えるか、でしょうね。今の体制、つまり格差を維持したい資本主義政府にとっては、数的にも脅威である99%のための思想として「私有財産制の廃止」=共産主義は嫌う理由はあります。

 あとは、おこぼれにあずかれるという幻想、もしくは自分の何かが奪われると思い込まされている99%側の人々の偏見・差別か・・・。

 この際、自由(ブルジョア的自由ではなく、マルクス主義的解放的発想としての自由)に、発想しましょう。すでに、私たちの私有財産制の廃止されてます。おそれることはありません。たぶん、話し合いでは解決しないでしょう。

 さあ、どうしよう? また、退会されそう♪