歴史を繰り返させない 弾圧の時代を蹴散らそう! | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 昨年来、逮捕しながら不起訴の事件が重なっています。6月、7月、9月、そして本年3月。いずれも公安刑事が逮捕しながら、結局は起訴できない事件です。逮捕の根拠がなかった、ということです。酷い話でしょ。本日も、京都大で行われた反戦バリケードストライキについての逮捕がやはり不起訴となりました。

 どう考えるべきでしょう? 逮捕したのに起訴できないのは残念? そうではないですよね、起訴できないことは十分承知しながら、国家暴力として逮捕・監禁を行うことが目的の政治弾圧の時代を始めようとしている、ということだと思います。

 いずれも、戦争反対、原発反対、革命的労働運動に関わっている学生や労働者が逮捕・勾留されています。
 たまたま? 違います、狙い撃ちです。政府に公然と逆らうから、暴力=逮捕で対抗しようという暴力支配の現実です。

 「過激派」だから逮捕するのではなく、政府の意に反するから「過激派」と規定し、逮捕するのです。逮捕すれば、権力よりのマスコミは、基本、「犯人」扱いです。メディアにとって、無罪推定なんて幻想、一つの建前(ポーズ)にすぎません。

 1925年、治安維持法の適用の最初の事件も京都の学生に対する弾圧でした。政府にとって気に入らない共産主義・社会主義の思想弾圧です。そこから、どんどん戦争の時代に転げ落ちて行ったのは歴史の事実。

 さて、安保法が成立し、盗聴拡大法案に弁護士会が翼賛し始めた現在、私たち1925年と同じような「地点」にいるのでしょうか。

 そうかもしれませんが、そうであるからこそ、歴史を繰り返させない努力をしましょう。政府のおもうままにはならないぞ!ということです。

 くだらない政治弾圧の逮捕など蹴散らして、政府の思惑を暴露していきたいと思います。

 今や戦争に反対するということは政府の意向に反するということだし、原発に反対するといういことは政府の「復興」策動に反するということです。法律は政府の都合のいいように仕組まれます。時に、非合法の戦争反対を訴えざるを得ない時代だと思います。

 大事なのは、合法・違法の枠組みに依拠するのではなく、自分と仲間の頭と心で何が正しいかを判断することだと思います。そのためには、想いを伝え合う必要があります。権力に干渉されることなく。