弁護士というのは、基本、定期収入がないわけですから、常に、新しい仕事、つまり、新しい依頼が必要です。それが、途切れたらthe end。顧問収入だけで経費が成り立つというスタイルも可能な場合もあるのでしょうが、そう甘くはない。誰かが自分のことを思い出し、頼んでくれないと成り立たない、そういう意味で、水商売と言われる部分は確にあります。雇用されているのとは違う不安、リスクはつきまといます、とりわけ「司法改革」以降。職業として人気がなくなるのもわかります。
ということで、自転車操業という言葉が直接当てはまるかどうかはともかく、毎月毎月、出るものは決まっている以上(家賃とか給与とか電気代とか)、不定期な収入は、走り続けることを余儀なくさせることになります、とりわけ近年。
自分なりに、いろいろ工夫、努力を重ねているつもりですが、自分の仕事のスタイルを踏まえながら、今日、考えるに至ったのは、ともかく、「集中した回転」というか、効率を合理的に意識・計算しつつ、丁寧に確実に、つまり集中して解決の周期を早めていくというイメージの仕事の仕方です。ゼロベース思考や、仮説思考というようなビジネス的な発想も踏まえつつ、自分のスタイルを考えて常に工夫している感じです。
まあ、それ自体、仮説思考として「試す、ダメなら違う方法を考える」を柔軟に繰り返していきたいと思います。ともかく、試し続ける、考え続ける、という意味では、走り続けなければならないと自覚しています。
人生は自転車操業・・・じゃなくて、「人生は自転車のようなものだ、倒れないようにするためには走り続けなければならない」とアインシュタイン博士が言ったようですが、彼ほどの天才でもそう思うのなら・・・と励みになりますね。
・・・って火野正平さんの本(『若くなるには時間がかかる』)で知ったんだけども、その言葉は。
まあ、自分の父を思い出しても、死ぬ年、つまり93歳の春まで法廷に居たわけですから、走り続けていた、と言えるでしょう。その法廷は横浜事件第三次再審の横浜地裁の公判だったわけで、そこにただ居ただけではなくて、考えて、意思を持って、居たのです。強い意思を持ってです。
なので、死ぬまで走り続けるのは当たり前だと思っています。そうしたいし。体力は重要ですね、そういう意味では。
なかなか理想通りにはいかないかもしれません、しかし、死ぬまで走り続けられるような、そのことに意味があるような人生を送りたいものです。