事実 評価 判断 の難しさ | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 弁護士とは実務法曹として専門家でありプロとしての責任も自覚もあります。いや、なければならないので日夜、切磋琢磨しなければならないなあ、という自覚です。

 では、専門家としての守備範囲はどこだろうと考えると、何回か書いていますが、法律を当てはめる前提となる「事実の認定」の専門家でなくては、と思います。

 しかし、「事実」と言っても、これまた難しくて、具体的な事実としては、何が事実であるかという把握自体、さらなる専門的な知識が必要ということはあります。鑑定結果のような化学的事実や医学的事実や物理学的事実など数値を具体的に示されても、それを自分の中で咀嚼し、評価し、判断することが困難な場合があります。

 つまりは、専門家であるということは、むしろ、自分の見極めることのできる範囲を自覚し、自分の能力・知識だけでは判断することのできない=わからない範囲を明確に峻別する、ということが重要だと思います。正味、そう思います。

 さらに、「評価」ということになると、例えば、病気の判断など、同じような症状でも、パーキンソン病なのか薬物性パーキンソン病なのか統合失調症なのかレピー小体型認知症なのか、解離性障害なのか、それ以外なのかは、私にはわかりません。さらには、誰ならわかるのかすらわかりません。神経内科の医者なのか、精神科の医者なのか、それともより専門分野が細分化されているのか、いやむしろ総合評価の専門家がいるのか・・・。

 原発の危険性についても同じく、何ベクレルなら危険・安全ということも際どいところではよくわかりません。

 「多い/少ない」「危険/安全」「十分/足りない」「熱い/冷たい」とかという言葉は、当然、主観的評価ですから、まずは、何%なのか、何度なのか、とか、経年変化は数値がどう変わっているのか、とか、その認定の根拠を追求していく必要はあります。45度の水が「お湯」であることはわかるけど、お風呂としては熱いけど、お燗としてはぬるいわけで・・・まあ、それくらいはわかりますけど。

 そして、さらに「判断」ということになりますと、弁護士だと尋ねられがちなのは「で、これは勝てますか?」とか「刑はどうなりますか?」という問いですが、例えば、統計上、99.9%の有罪率の刑事公判の事件において、弁護人としては結構イケるんじゃないかと思った(自分の中で「事実」認定し、それが裁判でどう「評価」されるか考え、「判断」して)として「大丈夫です、無罪でしょう」と告げるか・・ですけどねえ。

 まあ、世の中、ただでさえ「こうなんだって」とか「こうみたい」とか「そうなっているって言われた」とか言う話は溢れています。だからこそ、事実なのか?、誰がそう言っているのか?、その根拠は?、とか掴みたいですよね。役所の話だったら法的根拠、治療法なら少なくとも医者から直接、民間業者だったら契約書だとか・・・。

 ともかく、それでもわからないこと、わからない分野だらけだなあ世界は、と思います、ソクラテスじゃないけど、ホントにねえ。