人はすべからくいわゆるヘンタイであるというようなことをスコット・フィツジェラルドが書いていたな、と記憶しています。
いや、正しくは、
「・・・たぶんそれは人というものが見かけより異常であるせいだろう。我々は他人や自分自身に対してかぶっている都合の良い仮面の裏では、どうして風変わりでねじくれているのだ。『私はごく当たり前の、包み隠すところのない、あけっぴろげの人間ですよ』と言う人に会うたびに、僕はこう思う。この男には、おそらくは身の毛もよだつようないかんともしがたい異常な部分があって、意識的にそれを押し隠そうとしているんだろう、と。そして自分をありきたりの包み隠すところのないあけっぴろげの人間だといちいち断るのは自分の異常性をうっかり忘れぬための方便に違いあるまい、と。
世間にはタイプなどというものは存在しない。二人として同じ人間はいない。」(『リッチ・ボーイ』)
でした。
この短編自体、とても面白いものですが、この最初の部分が印象に残っています。
みんな、本当は、か・な・り個性的、つまり規格外、いわゆるヘンタイと言われるような部分を持ち合わせている、ものだということ、だと理解します。むしろ、みんな=オーディナリー・ピープルとは、そういう変わった部分を隠し持った人のことではないか、と。
そんなことないよ、俺は極めてどの角度から見ても平凡だよ、私は、本当につまらない人間よ、と心の底でも思う人っているのかなあ。それはそれ、逆に「普通の人」ではないのかもしれません。
なので、私としては、皆、そのヘンタイ的要素をもっともっと発揮したら面白いのに、と思います。もちろん、ちょっとヤバすぎるとか、倫理的な規範なんか遥かに超越しちゃうとか、やっぱり恥ずかしすぎるとか、いろいろありそうですが、チョロチョロ試してみてもいいのでは?結構、お仲間がいるのでは?と思います。
それは「俺、実はくらもちふさこが好きなんだよね」とか「私、春日がセクシーだと思うの」とか「ジェフベックのスキャッターブレインの最後のギタートーンでずっと弾きたい」とか「餃子の醤油にお酢を入れるのは絶対いやだ」とか「政治的意見は人前では明らかにしない」とか、それぞれの固有のジョーシキに従って、いろいろあると思いますけど、「わかる~、その感じ」という仲間は結構いるのではないかと思います。
でも、なんか発信しないと、繋がりません。味覚でも、政治感覚でも、音楽傾向でもなんでも構わない。自分のそういうヘンタイなところこそ、個性だし才能かもしれない。
『スロータハウス5』のカート・ヴェネガットも相当ヘンタイだと思いますが、同時にとっても素晴らしい人間的な人です。彼自身は、キリストのことを「最も偉大で最も人間らしい人物」と評してますが♪(『IF THIS ISN,T NICE,WHAT IS?(これで駄目なら?)』)
勇気をちょっとだして、発信していきましょう!