捜査の闇 証拠は作られるもの? | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 福岡高裁の逆転無罪判決が話題になっています。とりわけ立証に不利な証拠を隠そうとする捜査のあり方に注目が集まっています。
 私の担当しているひき逃げ事件の東京高裁判決(12/24)でも、以下のように捜査の問題点が指摘されました。

「原判決は、捜査段階で、本件交差点から⚪︎⚪︎公園に向かう経路上にある店舗に設置された防犯カメラの映像にある白色乗用車について、実際はその車種が***ではなく、同映像から凹損があるとは判断できないのに、「***」であり、「左側面前部ドアサイドミラーの下付近に凹損の損傷がある」などといった誤った内容の捜査報告書(原審弁1)が作成され、また、同じく⚪︎⚪︎公園に向かう経路上にあるマンションに設置された防犯カメラの映像にある白色乗用車について、実際は同映像から凹損があるとは判断できないのに、「左側面前部ドアサイドミラーの下付近に凹損の損傷がある」などといった誤った内容の捜査報告書(原審弁13)が作成され、原審における審理の当初、被告人車両の犯人性を示す証拠として提出されていたこと、被告人車両のフロントバンパーの付着物(原審弁13)について、捜査段階では微量であるから鑑定できないという誤った理由で鑑定されておらず(原審弁14)という経過を辿ったことなどを指摘し、警察において、証拠収集が恣意的にされていないか、被告人車両の犯人性を否定する証拠が見落とされていないか、疑念を抱かせるとし、本件において、除外されなかった犯人性の証拠を検討するに当たっても、慎重な姿勢を要するとしている。」

 つまり、被告人を犯人にするための「証拠作り」がなされ、また、被告人に有利になる可能性のある証拠はあえて無視してきている、ということです。その上で判決は、

 「確かに、本件捜査の過程において、原判決が指摘し、また弁護人が主張するように、防犯カメラの映像を曲解し、被告人車両の犯人性を肯定する方向での捜査報告書が作成されたことは、厳しく批判されるべきであり、本件の捜査、起訴には、総じてこれらに必要とされる慎重さが欠けているようにもみられ、一部問題があったことは否めない。また、被告人車両のフロントバンパーの付着物について鑑定が実施されていなかったことも、必要な捜査が尽くされていなかったという点で、問題があったといえなくもない」

とまで指摘します。ただ、それとこれは別だということでの有罪判決でした。

 しかし、そうでしょうか? 捏造された証拠により起訴された、つまり、「本来起訴されるべきではない被告人が起訴された事件」だということです。それを、公判検事が必死になって公判維持をするために証拠を補った事案であり、捜査段階で決めつけたので、真犯人追求のための本来のあるべき捜査はなされていません。あやしいとしても、決定的な証拠は一切ありません。

 捜査機関は、有罪にするための捜査、証拠作りをします。テレビドラマのように正義・公平とは関係ありません。
 「捜査の闇」は、権力の奥にあるのでよく見えません。見せようとしないので、必死に暴くしかありません。東京高裁の判断は、この捜査の闇に対する評価が不十分です。同じく権力機関だからでしょうか。

 そもそも、本件は一審において「期日間整理手続」といって、その後の証拠提出を厳しく制限される手続を経ており、かつ、控訴審においてはやはりさらに証拠提出は制限されます、少なくも弁護人側からは。

 しかし、東京高裁は、弁護人の異議にもかかわらず、検察側提出の「鑑定書」と証人の尋問をあっさり鵜呑みです。

 捜査の闇、というか、司法の闇は、治安維持法体制の頃とさして変わっていない気がします。疑わしきは罰せず、という

     即日、上告しました。厳しくとも、諦めずに闘います!