朝鮮半島情勢の情報が急に途絶え、本格的な「戦時」に入ったという見方もあります。一億総非正規社会、でしたっけ?、ともかく、世界一「企業」が活動しやすい、つまり、労働者を好き勝手に使える日本をめざしている時代でもあります。
なんとかしなきゃならん!という「一般論」はさることながら、目の前の現実をリアルに生きていく、生き抜かなければならない現実があります。自分は一年一年歳をとり、子どもたちはどんどん育っていきます、少子化だけど。
ということで、共通する問題を抱えつつ、自分の生活を生き抜かなければならない、しかも、競争的に、つまり、隣の人と競い合いながら、というのが21世紀の今、だと思います。
助け合って、寄り添いあって、与えあって、生きたいところですよね。・・・ところで、近頃、中学の頃、高校の頃の同級生のことを思い出します。どうしたくて、どうなっているのだろうと。40年近く経って、皆、それぞれ固有の経験を経て、53歳になっているのだと思います。
みんな元気ならいいなあ、と思います。知る限り、な~んも悩ましいことがない友だちはいないと思います。まあ、遠くから眺めると、芝生は青いのですけどね。
弁護士という存在は、25年前になってから、どんどん攻撃され、「独立した在野の正義の味方」みたいな姿から、純粋な「法律業者」みたいなところに陥し入れつつあります。今日の今日なら、絶対に志しません、だから、息子にも全く薦めません。
数年前に、高校の時の同級生の子息が法学部ということでアドバイスを求められ、全力でともかく、法曹は今はやめた方がいいとアドバイスして、後ほど感謝されました。
ともかく、弁護士になった頃と違って、今は、生き抜くことに必死です。私が毎日やることも生きるため、自分が、自分たちが生きるためのことです。民事、刑事、事件の解決だけでなく、日弁連の選挙、その他の社会的な活動、すべて自分と自分たちが生き抜くための活動です。
ちょっと余裕が欲しいな・・・あまりに生活が「目的的」でそれはそれでよくないと思う・・・常に、効率的に「解決」することを目指し、寝ることも、食べることも、運動することも「手段的」で・・・。
それほどでもないかな・・・ともかく、楽しいこと、気持ちいいこと、感動すること、つまり、生きててよかったと思うことを出来るだけ多く体験して、みんなで体験できる世界にしたいものですね。