25年目の弁護士のセキララな実感 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 今年で、弁護士生活25年を迎えたと思います。独立は2003年12月でしたので、12年目です。

 25年、弁護士をすることにより、様々な経験をしたとも思いますし、知らないこともたくさんあるとは思いますが、経験による専門性の向上を実感します。

 ここのところ仕事は面白いし、充実していると感じますし、知恵を働かせ、解決するということにつき、経験的に積み上げてきたものを感じます。専門家職のいいところだと思います。積み上げてきた日々に誇りを感じます。

 ・・・しかし、この日々の頼りなさ、というか、安定感のなさ、カネに追われている感じは、個人事業主、自営業者の常とはいえ、年々増すばがり、というのも実感です。年々、安定していく、というのとは全く違う、これが「司法改革」以降の東京の街弁の実感です。2015年末の弁護士の実像です。

 つまり、仕事への自身と誇りと責任感はドンドン増しつつ、生活自体は苦しくなるという右肩下りのベクトルを実感せざるを得ない、というのが弁護士25年目の年の実感です・・・、弁護士志望者が近年、現象してきている意味はよくわかります。現時点で、自分の子どもに薦めることはできません。

 しかし、このような感触は、弁護士だけでなく、今を生きる多くの人、とりわけ、子どもが進学期を迎える若くもなく、かといって年寄りでもない世代の多くの人々が、そして、世界中の多くの同世代が感じていることではないかと思います。

 こういう話は、あまりカッコイイことではないので、同業者同士でもあまりしません。しかも、上の世代の弁護士が実感と感じることは難しいのだと思います。

 実際、国立大学の授業料も、私が大学生だった頃の10倍(!)になっている状況なのに、それを「知識」としてしか知らない世代と、「現実」として迎えている世代ではジェネレーションギャップもあります。もどかしいことを多いです。

 ・・・とはいえ、やるべきことは、日々を全力で取り組むということしかないと思います。手をこまねいていても、日々、子どもたちは成長していきます。この世界を生き抜き、そして、世界全体を変革するために自分のことだけでなく頑張ること。「司法改革」とも闘います、「状況」と受け入れるつもりはありませせん。そのような、日々の闘い、これを毎日やっていく、それしかないでしょう。日々、最高の「仕事」と「活動」を目指して。新自由主義攻撃にさらされている世界中の皆さん、ともに頑張りましょう!