刑事弁護人が、具体的にどのようなことを考えて反対尋問に備え、尋問にあたるか。備忘録として記録しておきたいと思います。
刑事事件において、争う、つまり無罪を主張するからには、検察側が出してくる「調書」は裁判所に見せることを「不同意」として拒否します。大方、警察や検察の「作文」であり、都合のいいことが書かれているからです。まあ、そうでないと証拠として請求しませんよね。
その結果、調書で供述をしている人が検察側の証人として法廷に登場することになります。従って、弁護人にとって、その証人に対する反対尋問は必須ということになります。
もっとも、およそ反対尋問に大きな期待をかけすぎたり、スタントプレイのような華やかな場面を求めることは古くから諌められています。曰く、「反対尋問を得意と自認している弁護士は多いが、反対尋問が効を奏したと考える裁判官は少ない」とのこと。従って、反対尋問に劇的なカタルシスを求めることは極力排し、あくまでも地道に、証明力を減殺することを目的とすべき、だということです。
今回は、検察側の証人は、検察側の鑑定証人、でした。検察側から出された「鑑定書」の作成者であり、この「鑑定書」を裁判官にそのまま見せることに「不同意」にしたので、証人として法廷に登場せざるを得なくなったのです。
弁護人の準備としては、まず、この「鑑定書」の精査、ということになります。そもそも「鑑定書」という名前ですが、本当に鑑定と言っていいのか、ということから出発します。この検察曰く「鑑定人」という方の経歴を見ると30年以上警察学校の講師だったり、300件の「鑑定書」作成が全て刑事事件(つまり依頼者はすべて検察官との推定)だったり、かなりの偏り(失礼ながら「御用鑑定人」?)が認められます。
さらに、そもそもの専門分野と本件事件との関係もチェック。この「鑑定人」は確かにタイヤの専門家のようではありますが(その関連で博士号取得)、本件ではタイヤの問題はほとんど関係ありません。「鑑定人」が専門とあげる「交通事故解析科学」なるものは、イマイチ曖昧。念のため、「鑑定人」の著書を三冊読みました(まあ、ざっとチェックですが)。
というような感じでできる限りの準備はします。そして、反対尋問の獲得目標を設定します。今回は、1、「鑑定人」の偏頗性の暴露、「鑑定人」の専門能力の限界点の暴露=つまり真正な鑑定人とはいえないこと、2、仮に一定の専門能力があったとしても本件事件とは関係ないこと、3、鑑定と言いながら「手法・方法」において科学的・客観的手法が用いられていないこと、4、この「鑑定人」に示された資料がそもそも限定的な内容(主に書類でしかないこと)あたりとしました。
そして、本番、当日。まずは検察側の主尋問から始まります。検察官の質問がいきなり、中身に関わる部分で、鑑定書を読み上げるというものなので、とりあえず「異議です、誘導がひどすぎる」とたしなめて、普通の主尋問に修正。主尋問を注意深く聞いていると、鑑定書に書いていないことも出てきますし、逆に書いてあることが出てこない。これによって、準備した反対尋問事項を修正していきます。当然、反対尋問で訊こうと思っていたことが先回りして主尋問で訊かれてしまうこともあるので、どんどん、どんどんその場で修正していきます。
そして、遂に弁護人の反対尋問。今回は、「よろしくお願いします」という挨拶から始め、「鑑定人」というキャラクターに応じて、証人に対しても「先生」と呼びかけることにしました。その方が必要以上に反発を買わずにいくだろうとの「戦略」。
基本的には、準備した先の獲得目標に応じ、質問をします。たとえば、「先生は、ご経歴によりますと600件以上の鑑定をされていて、200件以上法廷に出廷しているとのことですが、出廷はすべて検察側の証人でしょうか?」みたいなところからです。
結果、検察側の証人であること、交通事故解析科学とは単に経験の集約であること、化学的鑑定は専門分野ではないこと、本件においては科学的な鑑定手法は用いられておらず、鑑定としては「稀有」な書面鑑定であること、などは明確にできたと思います。
・・・しかし、(ここはちょっと専門的ですが)、検察官の刑訴法321条4項に基づく鑑定書面としての裁判所の提出に対して、弁護人としては「裁判所に選任された正式な鑑定人ではないので同条の適用がない」旨、さらには前提として一審で「期日間整理手続」を経て、かつ控訴審ということで二重の意味でこれ以上の証拠提出は「やむを得ない事由」(刑訴法316条32、382条2、393条1項)がない限りでできない旨当初から指摘していたところ、裁判所は、「やむを得ない事由はない、刑訴法321条4項には該当する、ということで職権で採用する」(?)ということで「鑑定書」は裁判官に読まれることになりました(裁判官というのは、とりあえず「証拠」をどんなものでも見たがる傾向にあると思います。)。弁護人としては、尋問において「鑑定書」の限界といい加減さ、については十分に指摘できた、と思いますので、そこでは異議を述べませんでした。
・・・というような感じです。当たり前ですが、質問するにあたり「答え」がまったく予測できないようなことを聞くことはありません。学校の先生に質問するんじゃないんだから♪ とはいえ、「答え」がすべて想定内とはいえず、時に予想外の「答え」がなされた場合こそ、さも「想定内」という表情で、さらりと次の質問をする、などの心理戦もあり、とにかく集中力、瞬発力が要求されます。基本、証人の表情に集中しながら、目の端で裁判官と検察官の「反応」を見ながら、常に軌道を修正しながら、できれば一言も無駄な言葉なしに終わらせるのが理想です。
結果はわかりません。その時の「感触」と結果は別です。また、これまた反対尋問に関する法曹界の格言ですが「無駄な反対尋問より、やらない方がマシ」というのもあり、それは、実際そうです。反対尋問なしで、必要以上に「見事に検察官とリハーサルした」尋問をさせっぱなしにした方がいい場合もありますし、こちらの質問が究極のやぶ蛇になるリスクは常にあります。また、経験的には裁判官は自分で真理を発見したい傾向があると思いますので、裁判官の質問を残しておいた方がいい場合もあります。
いずれにせよ、それらを現場で瞬時に判断しながら行う反対尋問は、JAZZ的なアドリブの感覚にも似た、ハイなテンションで行わなければならず、かつ、そのノリが上手く行く場合は法廷を「支配・制圧」する空気を作ることができ、案外、そのノリは大事かなと思います。
真剣勝負の場であり、極めて民主的な言語と論理の試合の場としては、とてもやりがいがあり、鍛えられる場所であり、経験的には国会の公聴会、国税局の調査、入管の口頭審査に比しても、その緊張感は比べものにならないと思っています。