最近、鉄道関連の事故が多発していますね。大きくダイヤが乱れたりで大変です。通勤通学にとっても困っちゃう・・・という人がたくさんいると思います。いったい、何が原因なんだ? 誰が悪いんだ?
7割近くの人「生活が苦しい」と感じている(厚労省2014年調査)、求人が増えても実質賃金は下がってる・・・これまた、何が原因なんだ?俺が悪いのか?世間が悪いのか?はたまた政治のせいか?、どこかの外国が悪いのか?・・・
何でもかんでも他人のセイにするのはよくない、自分を省みろ・・というもはもちろん正しい・・・のかな?
何かと「自己責任」、それをひっくり返した感じの「自己啓発」がトレンドだと思いますけど、そんなに、そんなに自分のセイ、自己責任なのかな、この世界は。
今、JR東日本を被告として、そこで働く労働者らを原告とする裁判をしています。あらゆる事故につき、JR側の回答は、事故は個々の労働者のミス、というもの、まさに「自己責任」ワールド。
まあ、私たちは、そういう「価値観」の中で育てられ、それが当たり前と思い、自らを鍛えるために勉強し、頑張り、努力し、反省し、「自己責任」に耐える自分を作り上げようという教育の中で生きてきました。
しかし、本当に、そんなに「自己責任」なのかな?
本来、一元的に管理されるべき鉄道・・・それが、今は、外注化の連続で、ここまではこの会社の仕事、ここから、ここまではあの会社の責任、さらに、ここからはあちらの会社・・・みたいに、バラバラの会社に委託され、責任も分散されています。こんなだから、ミスが起こっちゃうんでしょ、責任が曖昧でポテンヒットみたいな事故が起こるんでしょ、と考えています。
どっちが正しいか・・・しかし、いずれにせよ、大きくは、構造的に大きな利益を得るものが責任を引き受けるのではなく、私たち一人一人に責任が押し付けられている・・・これが新自由主義下の私たちの世界=「自己責任ワールド」だと思います。
民営化により国家はまず責任離脱、外注化により責任分散、正規・非正規の分断、労組破壊により、個人への自己責任の押し付け、これはあらゆる分野で行われています。たとえば、裁判員制度というのは、いわば裁判の民営化・外注化で、裁判の責任を私たちに押し付ける制度ですよね?
俺が悪いのか、世間が悪いのか・・・。ついつい自分の力不足、努力不足、運不足、と考えがちだと思います。みんなそう思っています。だからこそ、そうじゃないんだ、世界の構造自体がおかしいんだ!と言い切ってしまう、そういう発想があるんだ!と示す、そういう「突破感」は、必要なんじゃないかなあ?! なんでもかんでも俺が悪い世界なんておかしい!!って。