なんとなく、モノが言いにくい時代になってきた気がします。同調圧力というか。「お前でもそんなのあんの?」って言われそうですが、気は利かないけど、作戦は考えたいので、社会・他者の動向にはそれなりに注意を払います。
モノが言いにくいというのは、「まあさ、わかっているだろお前だって? やっぱりさ。そういうもんじゃない?なんだかんだ言ったって」みたいな空気。
とりわけ、被差別的な扱いが社会でなされている存在に対しては、「アイツら差別されるのはしょうがないじゃん?お前もわかってるんだろ」みたいな空気です。
思えば、これまで、弁護士としても、ずいぶん被差別的な人たちと関わってきました。最初が「崩御・自粛」期の反天皇制グループですからね。それから、ホームレスと呼ばれる人たち、とか、戦時中、強制連行された韓国人とか、多くの刑事被疑者・被告人、とりわけ公安事件で捕まる「活動家」・・・
結果、私自身も、2008年4月、富山大学の学生に呼ばれて「弁護士だってワーキングプア?」という今思えば先駆的な演題の話をしに行ったときには、「学外者の森川文人は直ちに退去するよう勧告する!! 富山大学」というプラカードを掲げた大学職員30名くらいに排除されてしまいました。思わず「おお♪」と思い、写メってしまいましたが、国立大学が一弁護士を排除する、それも警備員を雇って、みたいなことはありえない話ではないでしょうか。
・・・とはいえ、その後、私の排除に抗議して弁護士会をあげての大抗議運動が生まれた・・・ということは全くなくって、そのまま「歴史」の彼方に・・・。
はっきり言って、「反・天皇制ならしょうがないなあ」とか「ホームレスなら仕方ないなあ」とかの延長に「森川ならしょうがないなあ」みたいな扱いがあるのだと思います。
それに慣れて、モノを言わないってよくないよなあ、と最近になって思います。
「なんか今頃、専守防衛を取り上げるなんておかしいよ」とか「中核派だから排除して当たり前じゃん」とか、そういうのを暗黙の了解みたいに放置しておくとワイマール憲法下で、国民の意を汲む形で成立していった国家社会主義労働者党の支配のように全体主義が成立しそうな気がします。「ちょっとしたことじゃない」みたいな違和感を口にしない、「ま、いいか」「ま、そんなもんか」みたいなことの積み重ねで、どこまでもいきそうで・・・。
私は、富山大学には「武装」して赴いたわけではありません。鉄パイプ、銃、その他の武器は持っていませんでした。持っていた「武器」は頭の中に用意した「司法改革」弾劾の知識と思想だけ。
富山大学にとっては、その私の「武器」が恐ろしかったのでしょうか?
そんな差別・排除ってあるのです。そして、そのような思想の排除をする組織に未来はない、と言い切りたいと思います。もちろん、暴力装置を独占する権力は問答無用に排除するでしょう。しかし、私たちの中で、互いを無視し、排除することは、ある意味、暴力的です。徹底的な忌憚のない議論こそが、暴力に対置されるものであり、激しい議論は、まさに非・暴力なのです。この地平で沈黙、無視、スルーは無言の暴力、だと思います。
今は、言葉を口にし、想いを表明するときです。