「専守防衛」が怖い・・・警官の仕事に思う | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 国会ではデタラメが横行していますが、国会周辺では、夜になっても、続々と人が集まり、そして、若い人たちが多く集まってきて、なんか嬉しくなりますね!「安倍打倒!」これが、国会前でこだましています、すごいこった♪

 ということで、シミュレーション的には「ポスト・安倍」ということになると思いますが、私が、今、ちょっと怖いのが、民主党にしても、共産党にしても、もちろん、維新にしても最低限、「専守防衛」で一致していることです。

 これって、戦争肯定ですよね?「専守防衛」とか、自衛という名の戦争を肯定する、ってことですよね?違いますか?   言っちゃダメだった?

 なんかそこで大同団結していく、って怖いなあ、って思います。だって、ホルムズ海峡の戦争より、南シナ(中国)海の戦争=個別的自衛権による戦争の方がリアリティあるでしょ?

 イマドキ、こういうことを言うと、反応してくれるのは、むしろ、右翼的な人で、いい人、というかリベラルの人は、すこぶる反応が悪いです・・・。きっと、基本的に自衛戦争を肯定しているのだと思います、だけども、それを正面からは認めたくないのでは?・・・と。

 「いや、ほら個別的自衛権は認めている人もいるから」とか「お前の考えはわかるけど、まだ理解されないから」みたいなことを言われるのですが、それは、結局、言っている本人がそう思っているんだろうな~と思います。

 集団的「自衛権」も、個別的「自衛権」でも、戦争は戦争だと思うんですが・・・?

 昨日、今日と、警察官がデタラメな役割を果たしています。戦争をしようとしている政府・国会を守るために、私たちに暴力を振るい(私も警官から押され倒れそうになりました!)、通行止めをし、青信号を封鎖します。

 これは、彼らの「仕事」なのですが、やりたくてやっているのではないのかもしれません。

 だからこそ、怖いのです!これまでの戦争もやりたい人はほとんどいないまま、協力して、やってきたのだと思うのです。「専守防衛」なんて戦争するための大資本側の理屈ですが、逆らえない、沈黙する「普通のリベラルな人」が、結局、粛々と「仕方ないんだよ」とぶつぶつ言いながらする「自衛という名の戦争」=帝国主義戦争が怖いなあ・・・と今、思うのです。

 私は、民主党も、共産党も支持しません。専守防衛、個別的自衛権肯定だし。

 「専守防衛」は当たり前、みたいのがイヤなんだよなあ。「常識」なのかもしれないけど、それって国と自分を同一視する発想じゃないか、結局。ナショナリズムじゃないか。この話に沈黙する、「リベラル」層に不安を感じつつ、新たに形成されている若い人たちの感覚に期待します。民主主義らしく議論をしていきたいと思います。今日の時点で沈黙は非・民主主義的な「悪」とはいわないまでも「逃げ」であって、カッコ悪い振る舞いではないと思うのです。

 私の考えが、今日の今日、特異であっても、言っておこうかなあと思うのです。