かつては、私も、「自分は少数派なのかな、無意味ではないけど、多数と異なる立場」なのかな、と思っていたこともありますが、少なくともここ10年くらいはそう思っていません。私は、今は、多数派にあることを自覚しています。
アメリカの格差の現実から生まれたオキュパイ・ウオールストリート運動で掲げられた「1%vs99%」というスローガンでも鮮やかに示されたように、私を含む「私たち」が圧倒的に99%であり、つまり多数を形成するクラス(階級)だということです。もちろん、このクラスの中にも様々な職業、年齢、国籍などなど、それぞれ異なるし、個性があります。
・・・まあ、あと性格だとか、やる気とか、勇気とか、根性とかさ・・・ということで人生も人それぞれでしょうが、大きな時代の変化は全ての「私たち」の人生を巻き込みます。戦争とか原発事故とか。
そして、この大きな時代の変化についてこそ、「私たち」が多数派であることが力を発揮します。というか、私たちの「力」こそ運命を決めるのです。多数派、というか多数であるということ、つまり社会の隅々まで存在し、働き、世の中を機能させているのが私たちだからです。
極めて分業化された現在、一人一人は社会の歯車というよりも「ホント、一部品なのかなあ?」って思うくらい手応えのないことも多いかもしれません。「オレなんかいなくても世の中は回るよ、どうせ」みたいな。
けれども、そんなことはないのです。日常の生活だって、戦争だって、原発だって、私たちがいないと動かないのです。
鉄道、バス、タクシーなどの移動手段もそれを動かす人がいないと動かない。軍用機に乗り、銃を持ち戦地に赴く兵隊、原発で放射能を浴びながら働く労働者、このような99%側の「私たち」の力がなければ何もおこらないのです。この自分たちの「力」の自覚は重要だと思います。
韓国ではゼネラル・ストライキが始まりました。これは非正規雇用の拡大や年金の改悪、最低賃金の引き下げに抗しての韓国の99%の私たちの側の「力」を示しての抵抗です。「私たちが動かなけれは世の中は機能しないんだぜ!」ということを強烈に示すアピールです。
戦争を望んでいる人、原発再稼働を求めている人は政府・資本を含め1%の少数です。騙されてはいけない。ただ、私たち同士が、お互い声をあげないと、私たちが多数派であることをわかりあえません。声をあげていきましょう、もちろん自分なりのやり方で♩