99%側としては、株価が上がろうが(選挙前だけだけど)、賃金が下がり続けていることに典型的に現れているように、日々の暮らしに余裕はないと思います。もしくは今は何とかなっていたとしても将来に希望を持てない時代ではないでしょうか。
それでも、自分がやっていること、それは仕事でも、子育てでも、介護でも、もしくは他人には容易に理解されないようなことでも、やるからには誇りをもって日々を過ごしていきたいものだと思います。
誇り・・・きれいごとではないけれど、一つの基準は子どもたちに説明できること、ではないでしょうか。まあ、いつ説明出来るかは別としても。
親に反抗するのは青春期の当たり前の通過点であり、私も父親に反発しましたし、自分にとっての権威として意識しました。ある時期、だからこそ「司法試験くらい俺も通ってやるぜ!」と思い、勉強を始めました。
けれども、司法試験を通ってから、父がとても大きなものと闘っていることを改めて認識しました。それは国家権力に象徴される大きな、そして許すことの出来ない傲慢な力のあり方だったと思いますが、そのことを私がわかったのは、父と同じ仕事を始める頃だったのです。
今を生きること、生き抜くために日々を疲れ切って過ごすこと自体、もちろん誇っていいことだと思います。ただ、自分が生きた意味、自分がやっていることの意味を次世代に伝えていけるように生きること、「俺はこれをやっている」、「私はこうやって生きている」と堂々と誇れるように生きることを目指す、そういう日々を持ちたいと思います。
・・・それでも、多くの人がそうやって生きていくことが出来ず、もしくはそんな価値観ではなくカネ、カネ、カネの世界に陥れられているとしたら・・・
この世界を変えていく、という発想を持つことに誇りをもっていいのではないでしょうか。たとえ、今の世界の権威や世論からどう思われようと。
「あの時代、父は時代に逆らって、自分たちの世界を作ろうとした、戦争に反対した。」というのは誇りを持った生き方だと信じて頑張りたいと思います。