真実とは? というか・・・ | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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真実、というか何が本当にあったことか、と自分の中で判断することは、誰もが日々、もしくは、瞬間瞬間繰り返していることでしょう。

「ちゃんとやりました」と奴は言っているが本当にやっているのか?、ダンナは「何でもない」と言っているが本当に浮気してないのか?、「この食品は放射能汚染されてません」というのは本当か?、安倍首相の言う国益にオレも含まれているって本当か・・・などなど・・・

これって結構、難しい・・・思い込み、邪推、偏見、願望、浅知恵など自分の中のさまざまな夾雑物を取り除かないと、ただ「何が起こったのか、あったのか」ということさえわかないのですから。

とりわけ、「・・・なんだって」とか「・・・らしいよ」とかの他人の曖昧な話、それと同じく、テレビや新聞記事などの報道などの「伝聞」は要注意。曖昧な話しかしない人も沢山いると思います。しかし、真実にとって大事なのは、確実で正確な情報。そうじゃなければ、ただの邪推にすぎません。

実務法曹は、そういう曖昧な第三者情報を信じない訓練を徹底的されていました。今の研修所はどうなのか知りませんが・・・

ともかく、何かを思う・認識する・判断する、というのは、思っているほど容易いことではないのです。昨年の刑事事件では、「被害者」の親は、最後まで被告人として検察官に扱われた人を「犯人」と思い込んでいました、自ら目撃したわけでもなく、子どもは事故の記憶がないにもかかわらず・・・つまり警察、検察による洗脳です。

アナタが今、思い込んでいることも真実ではないかもしれません。いや、私が大前提にしていることも・・・。

いずれにしても、です。自分で判断することです。他人=国や政治家や裁判官やセンセーやマスコミにではなく「自分」で。信用できるソースに基ずいて。

アベノミクスは私に富をもたらしているのか?
ピケティがいうとおり格差は拡大しているのか?(そもそもピケティはそう言ってるのか)
原発は安全なのか?戦争は他人事で終わるのか?

自分で判断し自分で選択するためには、相応の訓練と覚悟が必要だと思います。そもそも真実を知りたいか・・・真実と立ち向かいたいか・・・騙されいたいか・・・。

アナタが見ている「世界」は歪んでいませんか?