清志郎の言葉 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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RCサクセションを始めて見たのは、たぶん1979年、高2の時、タダ券で見たジョニールイス&チャーの前座。その後、高3の冬、深夜のテレビで演ってた野音のライヴ・・・最高だった、すぐにレコード探しに行ったなあ。

そんなRCの清志郎は、インタビュー、歌詞、言葉がピュアで素敵(『dream to remember. 清志郎が教えてくれたこと』今井智子)。そして、今、だからこそ突き刺さるものがあります。


ー車のCMはもうやんない?
「だって、あそこは戦争中、戦車作ってた会社だよ」

「格好ばかりのロックの奴がさ、多すぎるよね。なんかね、内容が伴ってないっていうかさ。あんな奴らなんてあれだよ、日本が軍国主義になったりしたらさ、軍隊の歌なんか歌うんだよ、平気で。」

「『俺たちはそういうことよりラブソングを歌いたい』みたいことを言ってるヤツがいたんだよ。ラブソングをバカにしてんじゃない?そいつ」
ー歌というものは、反核の歌もラブソングも同じテンションで歌っているということですね?
「そうです。まさにそうです。」

そうそう、それがロックだよねって思います。なんか気持ちよく、本質的に言いたい放題。いや大事なこと、言ってますね。そして、歌もストレート♩原発や核について、ずいぶん前から扱ってる、自然に、そして薄めずに。

Long Time Ago 44年前
原子爆弾が落ちてきて、何10万人もの人が死んでいったのさ
知ってるだろ? 美少女も美男子もたった一発
顔は焼けただれ髪の毛抜け 血を吐きながら死んでいくのさ
Long Time Ago 44年たった今
原子爆弾と同じようなものが おんなじこの国に次々とできている


さらに、アンチ政治のバイアスの強いインタビュアー(近年、むしろ政治化されてますが)に対し、
「ですから、何と言いますか、例えば原子力発電所が一個ぐらい爆発してですね、みんな汚染されたとしてもですね、何ていうかな、首脳部っていうの、偉い奴だけはそれをまぬがれてさ、庶民だけ、ていうか自分がほら、放射能とか浴びて歯茎からどぼどぼ血が出てさ、手がぶよ~っとかなってさ、死んでくってやじゃんやっぱり。それが言いたかったんですけどね」1988年『ロッキング・オン』


・・・ってな具合に大事なことを純粋に言葉を選んで発言し歌っていました。
クリスマスの武道館も行ったなあ、1983年かなあ。オーティス・レディングのLIVEの映像の字幕から引用したらしき「愛しあってるかい?」を聞いたような・・・

私たちは、皆、愛し合ってるかな、今?