共産党のように自衛戦争=個別的自衛権の行使には反対しない、という立場は、結局は、「自衛の名」による侵略戦争という歴史を省みていないのではないかと思います。
そして、それは、結局は国家主体=私たちというナショナリズムの幻想を肯定する考え方ではないかと思うのですが。
それと、同じく、「日本は結局、アメリカのいいなりだ」という、いわゆる対米従属説も、ナショナリズム、つまり国家主体でモノを考える危険な発想だと思うのです。
確かに、日本「政府」はアメリカ「政府」の思惑を忖度しつつ「国際政治」を「戦後」押し渡ってきたと思います。しかし、それは、各国の国家暴力を利用する大資本の立場を代理する政府の利害の対立の問題であり、日本人とアメリカ人の対立ではありません。
むしろ、利害の対立でいえば、日本人と日本政府、アメリカ人とアメリカ政府こそ、くっきり対立していると思います。「残業代ゼロ」法案とかの労働法制の骨抜きもそうですが、何よりも戦争の際、殺し合いに動員されるのは、それぞれの国の国民だからです。
アメリカvs日本、とか、中国vs日本、とかは、日本の「国益」とか、「国力」とかを、あたかも、私たちの「益」だとか「力」とかにすり替える排外主義的ナショナリズム、です。言い切っちゃいます。
政府というか資本の、いわゆる帝国主義的な利害の問題としては「対米従属」とか、そうではないとかの「構図」を語るのもアリでしょう。
だけれでも、それは、私たち側の構図ではない、ということをはっきりさせましょう。わたしたちがアメリカ人や中国人やシリア人と殺し合わなければならない理由はありません。
自衛の名で戦争は始まるのです。「敵が攻めて来たら?」で思考停止するのではなく、敵とは誰か?攻めて来るとはどういう事態か?などを具体的に想像し、そして、20世紀に起こった悲惨な出来事を思い浮かべましょう。
PEACE!