今、少年を被害者とする「殺人・死体遺棄事件」が世間を騒がしています。メディアの情報しかないので詳細はわかりませんが、被逮捕者らは現時点では否認とのこと(2/28)。
私もかつて殺人事件の共犯とされた被告人の弁護を担当したことがあります。基本的に「自白」、つまり犯行に関わったことは認める事件でしたが、共犯者、それぞれ役割は違います。依頼した人、実行犯に「報酬」を届けた人、誘拐のための自動車を運転した人、実行した人(それぞれの役割は別)。
このような共犯関係の事案では、一人ひとりの責任意識は希薄になります。「自分だけでやったわけではない」「言われた通りに役割を果たしただけだ」「俺の関わった範囲はここだけだ」「俺は望んでいなかった」「本当に実行したのは自分ではない」等々・・・。
もちろん、それぞれの関わり方、濃淡、動機など全部違うのが事実。では責任は? たとえば「見張り」は殺人の責任はないのか?
当然、殺人を知ってて手助けした以上「幇助犯」として共犯になる可能性は高いでしょう。ここで「知ってて」とは、殺したい動機がなくても「殺されるであろうことを認識して」いれば、ということになると思います。
共犯、というか集団で物事を行うときには、どうしても一人ひとりの責任意識は希薄になります。そして反省も。
今、シリアではアメリカ・フランス・サウジアラビアなどの「有志連合」による大量殺人=空爆がなされ、6000人以上は殺されているようです。
そして日本もそこに加わっている・・・「日本は『人道支援』だけ行っている」と容疑は否認しているようですが、「人道支援」も「見張り」や「報酬運び」のように共犯として責任があることは明らかでしょう。
ということは、その日本の有志連合入りを「許して」しまっている私たちの「責任」は?
空爆という殺人行為を知っていて、それを幇助する政府を容認する国民はやはり共犯者、ということになってしまうのではないでしょうか?
私たちの責任、そして反省としては、これ以上、戦争による殺人を日本政府が犯さない反戦のための行動をとることだと思います。積極的に加担するのも、知ってて見逃す(容認)するのも、基本的には責任が発生するのです。
