医療、教育、そして、司法などの公的な事業を、国鉄や郵便、水道のように「民営化」するという方向で世界中、進んでいます。
「民」というところがミソで、まるで、民である私たちの手に、私たちのコントロール出来る私たちのモノになるかのような誤解・幻想を与えます。
「民営化」の現実は、企業による商業化であり、商品化であり、公的事業を「サービス業」に解体するものです。
何が起こるか・・・。これは、私たちが、ここ2~30年で見てきたことですが、理屈通りに展開します。
まず、公的事業は、国の誰もが享受できるよう満遍なく行き渡るように施行されるのが理念です、採算に合おうとあうまいと。しかし、実際は採算が会わない地域などが出てきます。そこで、民営化をすれば、その赤字は企業としては解決すべき問題点と顕在化させたうえ、大量リストラの方便となり、とりわけ煩い「労働組合」等の解体にも利用できるという寸法。
民間企業なんだから当たり前でしょ、という効率優先の世界へまっしぐらとなります。
さて、医療の商業化、さらにはファーストフード化の現実は、堤未果さんのアメリカの現実を表した一連の本に詳しいですが、効率化の一つの現れは、オバマケアでも、ガンの場合、「安楽死薬は保険適用、治療薬は保険適用外」、つまり、どうせ死ぬんだから効率的に保険運用という現実に端的に現れています。
このノリで、教育や司法も、サービス競争の「市場」に放り込まれつつありますが、これらが社会に何をもたらすかは目に見えているでしょう。
優れたサービスを享受できる金持ちと市場からはじきとばされる貧乏人の群れ。まあ、今も日本でも始まりつつありますが、お金があれば、最高の医療、最高の教育、最高の弁護を受けられるかもしれないけど、そうでない方はそれなり、というよりは、病気しても、勉強したくても、困っても自己責任でがんばってね、だってお金がないんだから、という世界になるというわけ。貧乏な人を救うのは非効率的という価値観。
これが「民営化」=新自由主義が目指す世界であり、私たちは、その中で常に、「自分の努力不足」という概念に追い詰められる仕組みです。
やれやれ。今んとこ日本の皆保険制度が機能していてよかった・・・アメリカの自己破産の理由の半数は医療費の負担だそうです。
