青春と放射能 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 本日、午前中は息子の高校の学園祭をちょっと覗き、その後、亀戸中央公園のさよなら原発集会&デモに参加してきました。

 高校の学園祭・・・やっぱり自分の時のことを思い出しますが、まあ、いろいろ悩みはあるにせよ、楽しく、熱く、一所懸命で、ともかく、「若い」という「未来への勢い」が溢れています。やはり、どんな時代だろうと高校生、つまりハイティーンの世代は、これからを生きていく、世界を生きていく「勢い」がどんな形であれ、溢れていて、キラキラしているし、または、ウズウズしているという感じでみなぎってました。

 もちろん、今は、客観的には、「戦後」最大に甘くない、むしろ、7.1閣議決定以降は「戦前」に近づく、非正規職40%の時代。だけれども、「今」高校生の彼ら彼女らにとっては、待ち構える新しい世界なのであり、自分たちの世界なのです。突き進んでもらうしかないし、「今」「若い」ということは、いつだって「今から未来」、私たちの「若い」ときと同じでしょう。

 かといって、私たちも簡単にバトンタッチしてしまえば済む訳ではなく、やるべきことを責任もってやらなければならないわけです。3年前の3.11の翌週の晴れ渡った青空・・・見えないけど放射能に汚染された恐怖の青空が東日本に拡がりました・・・・そして、その見えない恐怖はまだ何も解決してません。見たくはないし、認めたくはない、知りたくない現実ですけどね。

 その私たちの心理につけこんで、今日の今日、すべての原発が停止していても何ら問題のないにも関わらず、早々に、原発を再稼働しようとしている「原発ムラ」とそのエージェントである安倍内閣が、私たちと対立的に立ちはだかっています。

 今日の午前中の高校と午後の集会の参加者は、重なっていなかったと思います。つまり、両方に出たのは私だけだったでしょう。けれど、それでいい。

 客観的には、放射能まみれの東日本で青春を過ごしているのは若い人たちではある、だけど、その彼らに、「自分の問題だから自分で声を出せ」と呼びかけ、期待することは、私たちオトナのやるべきことか・・・。

 この時代を作り上げたのは、彼らではなく、私たちです。作り上げなくても少なくとも許容してきたのは。若い人に「政治性(=まあ、原発をなくすことが政治だとしたら)」を期待する位なら、同世代に期待します。そりゃオトナなんだから。

 気がついた奴が声を出し、動けばいい。この「放射能まみれの青春」を実現している今をどうするか。
 先に動くべきは、どうしたって、私たちオトナ、であることは確かだと思います。