「国のため、上から言われた通りに闘ったのに、なぜ犯罪人なのだろう」本日の朝日新聞の夕刊の中に元軍人の娘さんの言葉です。
およそ軍人・兵士とは、相手が憎くて殺すのではなく、「命令だから」殺す、そういう仕事。
世の中、いい人、悪い人がいるわけではないではないでしょう。各人の中に「いい自分と悪い自分」がいる、そういうことだとは思います。
ただ、そうだからと言って、「まあ、そういうもんだから♪」ってすませるわけにはいかないでしょう。
実際は、「ポジション・立場・仕事・職務」にどれだけ拘束されるか。もっと言えば、拘束されている自分を「容認」するか。「言い訳」にするか、ということは多いかと思います。弁護士には弁護士の仕事、鉄道員には鉄道員の仕事、警察官には警察官の仕事、自衛隊員には自衛隊員の仕事・・。
そういうところは、誰にでもあるでしょう。私にもあります。ついつい、仕事だから、と・・・。
昨年、映画『風立ちぬ』を見て、「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉を思い出しました。真面目に、真面目に働いて、戦争に役立つものを生み出した主人公の物語でした。悲惨な話です。
誰もが、簡単に自分の日々の営みを否定する事は出来ないでしょう。
だけれども、時々は、自分のやっていることの意味を考える必要はあるのではないかと思います。
私の、私たちの、日々の営みが、地獄(=戦争)への道を切り開くとはいわないまでも、容認していく、ということは確かにあるかもしれません。
仕方ないさ、と諦める自分と、日々から断絶し、飛躍しようとする自分。
それでも・・・・「上からの命令だから」で許されることはない、今、私たちはそう断言する必要があると思います。そうでなければ、同じような仕組みが目の前迫っている今、私たちは、ただただ繰り返してしますだけになってしまうから。それを自ら許すことになるだけだから。
問われることの多い時代です。時に「仕事」「役割」から飛び出す必要があるのではないか、と私も戦々恐々です。それは、何時になるのか? 飛び出す力はあるのか?
頑張りましょう!
