階級vsナショナリズムの時代 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 面白い、というか、なんでだろう?と思うのは、権力と対峙する関係にあり、日常的に権力の行為に対し懐疑的なスタンスを取る(はずの)弁護士でも、「司法改革」が、私たち民衆にとって「善きもの」と始められたという前提でのコメントが今も見かけることです。
 例えば、Blogに以前も書きましたが、「司法改革は失敗した」とか、「司法改革は修正すべきだ」とか・・。
 
 政府が行う立法つまり制度設計なのですから、当然、権力側=資本側にとって都合のいい制度でこそあれ、私たち一般に「善い」なんてことは原則的にない、と思っていいのではないでしょうか。法人税を引き下げ、残業代ゼロにし、集団的自衛権容認で「動員」をはかろうとしている政府がやることですよ?

 国鉄改革、国会改革、そして「構造改革の最後の仕上げ」とされた司法改革は、いずれも、国労・総評、社会党、そして弁護士会という、いわば民衆側で団結して闘う組織つぶしの新自由主義の制度です。

 したがって、弁護士の今の経済的惨状は、基本的には「闘う弁護士つぶし」という目標通りであると同時に、行き過ぎた新自由主義としての破綻ということになると思います。

 今、誰にとっても、このような対立軸を見定める視点が大事だと思います。つまり、1%vs99%という経済格差による階級的対立において政府は確実に1%側に立って行動する、という見方です。
 
 いや、そうじゃない、「がんばれニッポン」、私たち日本人は一丸となって、この時代を乗り切ろうじゃないか、皆で歯を食いしばって!それが「国家の存立」ひいては、国民のためだから!

 ・・・みたいな、排外主義的ナショナリズム・キャンペーンには反吐が出そうです。
 ところが、「中国が攻めて来たら」なんていうショック・ドクトリン的な問いをぶつけられた途端に、この排外主義に飲み込まれ、「お国の為に闘おう」なんて人々も歴史的には存在してきたのです。

 だから、私は、何度も何度も、このことは強調したい、自分に向かっても強調したい、「国家と私たちは非和解的に対立している」ということを、です。
  以前のBlog http://ameblo.jp/mfb1991/entry-11583410734.html