JAPANESE ONLYの意図? | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

ブログの説明を入力します。

 JAPANESE ONLYの意図って、日本人以外お断り、日本人だけだよ!って差別の意味以外あるのかな? 「がんばろう」日本ではなく、ONLY。

 最近、よく思うのですが、差別するなよ、差別しちゃだめだよ、とか、優しくしなきゃだめだよ、って言ったってなかなか伝わらないな、と。それは、子どもに対しても、大人に対しても。そして自分に対しても。

 基本的に、自分を他者と差別化することをよし、競争してナンボとして教育されているわけだし、他人に対しては得にもならないのに優しくするよりは優しさを「購入」しろ、という商業システムに覆うことが資本主義社会・新自由主義の基本になっていると思うのです。

 だから、出来るだけ差別出来る「基準」は多ければ多いほど私たちを競争させやすいし、効率的に搾取しやすい。お前は日本人なんだ、外国人に負けていいのか?もっと頑張れよ。お前は、準正規労働者なんだ、非正規に負けていいのか、頑張れば正規になれるかもしれないぞ、とか。

 どっぷり、すっかり「その気」になってのサッカー場でのJAPANESE ONLYでしょう? 
 掲げた当事者からは「差別するつもりはなかった」なんてコメントが出てくるのでしょうか。しかし、「差別するつもりなき差別」が最も差別的だと思います。「当然のこと」「常識としての差別感の浸透」ということですよね?他者を思いやる気持ちがない、のずっと手前の発想=そもそも、何でダメ?誰が傷つくの?みたいな。

 つまり「差別」という価値観に私たちの世界は、どっぷり組み込まれつつあるのだと思います。

 何故、差別はいけないのか。結局は乱暴なカテゴライズにより他者を見る目を歪め、無意味にフリクションを起すきっかけになり、無意味に感情的憎悪を生む可能性があるからだと思います。要するに、「無意味であり危険」だということ。

 しかし、この「無意味な危険性」をどう伝えるか。同時に、私の中にも根強くある様々な差別感をどう克服させるか。簡単ではありません。皆、易きに流れがちです。
 いずれにせよ、支配者にとっては、私たちが互いの差別し分断が生み出され、「団結」や「国際連帯」を妨害した方が何をするにせよやりやすいので、そう企図しているということは間違いないと思います。

 私たちの中には、いや誰の中にも、本質的に差別して見知らぬ他者を敵視すべき理由があるわけではない、と信じています。                    love & peace