『爾前得道有無御書(二乗永不成仏事)』(佐前"佐後?") | 細雪の物置小屋

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御宗祖御開山遺文DBを中心に投稿します。
[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 爾前当分跨節(にぜん とうぶん かせつ)の両 得道 有無の事
 仏 滅後 月氏(がっし)には一千年の間、論師は心に存して之(これ)を弘(ひろ)めず。仏法 漢土に渡りて五百余年、二百六十余の訳者 人師(にんし)も此(こ)の義 無し。陳隋(ちん ずい)の初めに天台智者大師 一人(いちにん)始めて此の義を立てたま(給)ふ。日本国には欽明(きんめい)より桓武(かんむ)に至(いた)るまで二百余年、又 此の義を知らず。伝教大師始めて之を覚(さと)り 粗(ほぼ)之を弘通したまへり。其(そ)の後 今に至るまで四百余年、漸々(ぜんぜん)に習ひ失ひて 当世は知れる人 之 無し。纔(わず)かに之を知れども夢の如(ごと)く囈語(ねごと)の如し。
 今 日蓮 宿習(しゅくじゅう)有りて粗(ほぼ)之を覚知(かくち)す。此の国の道俗(どうぞく)の習ひ高慢無知にして日蓮を蔑如(べつじょ)して之を習はず。而(しか)るに国主は狂(くる)へるが如く 万民(ばんみん)は矜(ほこ)りを為(な)し、終(つい)に苦海(くかい)に沈まんか。諸人 未(いま)だ之を知らず。余宗余家の学者が此の義を習(なら)はんの時は先(ま)づ爾前の経々に当分跨節の得道有るの由(よし)、粗 之を知らしめて、復(また)返(かえ)って彼(か)の義を破(は)して、之を建立(こんりゅう)するなり。
(平成新編0183・御書全集ーーーー・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0305~0306・昭和定本[1]0148)
[正元01(1259)年"文永11(1274)年"(佐前"佐後?")]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]