或経(ある きょう)に云(い)はく、六道の一切衆生 仏前に参(まい)り集まりたりしに、仏、彼等が身の上の事を一々に問ひ給(たま)ひし中に、仏、地神(ちじん)に汝(なんじ)大地より重きものありやと問ひ給ひしかば、地神 敬(つつし)んで申さく、大地より重き物候(そうろう)と申す。仏の曰(いわ)く、いかに地神 偏頗(へんぱ)をば申すぞ、此(こ)の三千大千世界の建立(こんりゅう)は皆 大地の上に そなわれり。所謂(いわゆる)須弥山(しゅみせん)の高さは十六万八千由旬(ゆじゅん)、横は三百三十六万里(り)なり、大海(たいかい)は縦横(じゅうおう)八万四千由旬なり、其(そ)の外(ほか)の一切衆生・草木(そうもく)等は皆 大地の上に そなわれり。此(これ)を持(たも)てるが大地より重き物 有らんや、と問ひ給ひしかば、地神 答へて云はく、仏は知(し)ろし食(め)しながら人に知らせんとて問ひ給ふか。我(われ)地神となること二十九劫(こう)なり。其の間、大地を頂戴(ちょうだい)して候に頸(くび)も腰も痛むことなし。虚空(こくう)を東西南北へ馳走(ちそう)するにも重きこと候(そうら)はず。但(ただ)不孝の者の す(住)み候(そうろう)所が身に あま(余)りて重く候なり。頸も いた(痛)く、腰も お(折)れぬべく、膝も たゆく、足も ひかれず、眼も くれ、魂も ぬ(抜)けべく候。あわれ此(こ)の人の住所の大地をば な(投)げす(捨)てばやと思ふ心たびたび(度々)出来(しゅったい)候(そうら)へば、不孝の者の住所は常に大地 ゆ(揺)り候(そうろう)なり。されば教主釈尊の御いとこ(従弟)提婆達多(だいばだった)と申せし人は閻浮提(えんぶだい)第一の上臈(じょうろう)、王種姓なり。然(しか)れども不孝の人なれば、我等(われら)彼の下の大地を持(たも)つことなくして、大地 破(わ)れて無間地獄に入(い)り給ひき。我等が力及(およ)ばざる故(ゆえ)にて候と、か(是)くの如(ごと)く地神こまごま(細々)と仏に申し上げ候(そうら)ひしかば、仏は げ(実)にも げにもと合点(がてん)せさせ給ひき。
(平成新編1503・御書全集1398・正宗聖典----・昭和新定[3]2159~2160・昭和定本[2]1803~1804)
[弘安03(1280)年10月21日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]