而(しか)るに 諸宗所依(しょえ)の華厳・大日・阿弥陀経 等は 其(そ)の流布(るふ)の時を論ずれば正法一千年の内、後の五百年 乃至(ないし) 像法の始めの諍論の経々なり。而るに 人師(にんし)等 経々の浅深・勝劣 等に迷惑するのみならず、仏の譲り状をも わす(忘)れ、時機をも勘(かんが)へず、猥(みだ)りに宗々を構(かま)へ像末[細雪注・「像法」と「末法」のこと]の行となせり。例せば白田(はくでん)に種を下(くだ)して玄冬(げんとう)に穀(こく)をもと(求)め 下弦(かげん)に満月を期(ご)し、夜中に日輪(にちりん)を尋ぬるが如(ごと)し。
(平成新編1140~1141・御書全集0346・正宗聖典----・昭和新定[2]1684・昭和定本[2]1317)
[建治03(1277)年06月(佐後)]
[真跡・小湊誕生寺外三〇ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日澄筆 北山本門寺 日法筆 岡宮光長寺]
[※sasameyuki※]