青鳧(せいふ) 一結(ひと ゆ)ひ 送り給(た)び候(そうら)ひ了(おわ)んぬ。
近来の学者一同の御存知に云(い)はく「在世 滅後 異なりと雖(いえど)も、法華を修行するには必ず三学を具(ぐ)す。一(ひとつ)を欠いても成(じょう)ぜず」云云。余(よ)又 年来(としごろ) 此(こ)の義を存する処に、一代聖教(しょうぎょう)は且(しばら)く之(これ)を置く。法華経に入(い)って此の義を見聞するに、序正(じょ しょう[細雪注・「序分」「正宗分」のこと])の二段は且く之を置く。流通(るつう)の一段は末法の明鏡、尤(もっと)も依用と為(な)すべし。而(しか)るに 流通に於(おい)て二(ふたつ)有り。一には所謂(いわゆる)迹門(しゃくもん)の中の法師(ほっし)等の五品、二には所謂 本門の中の分別功徳(ふんべつくどく)の半品より経を終はるまでの十一品なり。此の十一品半と五品と合はせて十六品半、此の中に末法に入って法華を修行する相貌(そうみょう)分明なり。是(これ)に尚 事行(こと ゆ)かざれば普賢経・涅槃経 等を引き来たりて之を糾明(きゅうめい)せんに 其(そ)の隠(かく)れ無きか。其の中の分別功徳品の四信と五品とは法華を修行する大要、在世滅後の亀鏡(ききょう)なり。
(平成新編1111・御書全集0338・正宗聖典0276・昭和新定[2]1647~1648・昭和定本[2]1294~1295)
[建治03(1277)年04月初旬"建治03(1277)年04月10日"(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]