日蓮 是(これ)を見し故(ゆえ)に 忽(たちま)ちに菩提心(ぼだいしん)を発(お)こして此(こ)の事を申し始めしなり。世間の人々いかに申すとも信ずることはあるべからず。かへりて死罪流罪(るざい)となるべしとは か(兼)ねて知りてありしかども、今の日本国は法華経に そむ(背)き、釈迦仏を す(捨)つるゆへ(故)に、後生(ごしょう)に阿鼻大城(あびだいじょう)に堕(お)つることは さてを(置)きぬ。今生(こんじょう)に必ず大難に値(あ)ふべし。所謂(いわゆる)他国より せめきた(来)りて、上一人(かみいちにん)より下万民(しもばんみん)に至るまで一同の歎(なげ)きあるべし。譬(たと)へば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに、此の罪を千に分けては受くべからず。一々に 皆 無間(むけん)大城に堕ちて同じく一劫(こう)を経(ふ)べし。此の国も又々 是(か)くの如(ごと)し。
(平成新編0827・御書全集1327・正宗聖典----・昭和新定[2]1217・昭和定本[2]0991~0992)
[建治01(1275)年05月08日(佐後)]
[真跡・茂原鷲山寺外五ヶ所(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]