若(も)し此(こ)の師を悪口(あっく)し罵詈(めり)し誹謗(ひぼう)すれば、種々の重罪を受くることを得るなり。経に云(い)はく「若し一劫の中に於(おい)て常に不善の心を懐(いだ)きて、色(いろ)を作(な)して仏を罵(ののし)らんは、無量の重罪を獲(え)ん。其(そ)れ是(こ)の法華経を読誦(どくじゅ)し持(たも)つこと有らん者に、須臾(しゅゆ)も悪言を加へんは其の罪 復(また)彼(か)に過ぎん」と。又 云はく「若しは人 有って之(これ)を軽毀(きょうき)して言はん、汝(なんじ)は狂人ならくのみ、空(むな)しく是の行を作して終(つい)に獲る所 無けん ○[=文章の中略] 当(まさ)に仏を敬ふが如(ごと)くすべし」と。又 経に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賎憎嫉(きょう せん ぞう しつ)して結恨(けっこん)を懐かん。此の人の罪報を汝 今 復 聴(き)け、其の人 命終(みょうじゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入(い)らん」等云云。五百問論に云はく「大千界 微塵数(みじんじゅ)の仏を殺すは其の罪 尚(なお)軽し。此の経を毀謗(きぼう)するの罪 彼より多し。永く地獄に入(い)って出(い)づる期(ご)有ること無し。此の経を読誦する者を毀■[=紫-糸+言](きし)するも亦復(またまた)是(か)くの如し」と。論師(ろんし)人師(にんし)等の釈(しゃく)、之(これ)多しと雖(いえど)も 之を略し畢(おわ)んぬ。
平成新編0593~0594・御書全集----・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0855~0856・昭和定本[1]0630~0631)
[文永09(1272)年04月15日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]