されば釈(しゃく)には「唯(ただ)法華に至(いた)って前教の意(こころ)を説いて 今教の意を顕(あら)はす」と申して、法華経にて如来の本意も、教化の儀式も定まりたりと見へたり。之(これ)に依(よ)って天台は「如来成道(じょうどう)四十余年 未(いま)だ真実を顕はさず、法華 始めて真実を顕はす」と云(い)へり。此(こ)の文(もん)の心は、如来 世(よ)に出(い)でさせ給(たま)ひて四十余年が間は真実の法をば顕はさず。法華経に始めて仏に な(成)る実の道を顕はし給へりと釈し給へり。
(平成新編0294~0295・御書全集0462・正宗聖典----・昭和新定[1]0459・昭和定本[1]0277)
[弘長03(1263)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]