然(しか)るに今の人々は高きも賎(いや)しきも、現在の父たる釈迦仏をば かろ(軽)しめて、他人の縁なき阿弥陀[・大日 等]を重(おも)んじ奉(たてまつ)るは是(これ)不孝の失(とが)にあらずや。是 謗法の人にあらずやと申せば、日本国の人 一同に怨(あだ)ませ給(たま)ふなり。其(そ)れも ことはり(理)なり。ま(曲)がれる木は すなお(素直)なる縄を にく(憎)み、いつは(偽)れる者は たゞ(直)しき政(まつ)りごとをば心に あ(合)はず思ふなり。
(平成新編1365・御書全集1437・正宗聖典----・昭和新定[3]1980・昭和定本[2]1642)
[弘安02(1279)年05月02日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]