像法の末 八百年に相当(あいあ)たって、伝教大師、和国(わこく)に託生(たくしょう)して華厳宗 等の六宗の邪義を糾明(きゅうめい)するのみに非(あら)ず。加之(しかのみならず)南岳・天台も未(いま)だ弘(ひろ)めたま(給)はざる円頓(えんどん)の戒壇(かいだん)を叡山(えいざん)に建立(こんりゅう)す。日本一州の学者一人(いちにん)も残らず大師の門弟(もんてい)と為(な)る。
(平成新編0781・御書全集1030・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1144・昭和定本[1]0900)
[文永12(1275)年03月10日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・日向筆 岩本実相寺 日法筆 岡宮光長寺 日澄筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]