又(また)悲を先とする人は先(ま)づ権経(ごんきょう)をと(説)く、釈迦仏のごと(如)し。慈を先とする人は先づ実経(じっきょう)をとくべし、不軽菩薩のごとし。又 末代の凡夫は なにとなくとも悪道を免れんことは かた(難)かるべし。同じく悪道に堕(お)つるならば、法華経を謗(ぼう)ぜさせて堕(だ)すならば、世間の罪を も(以)て堕(お)ちたるには に(似)るべからず。「聞法生堕於地獄(もんぽうしょうぼうだおじごく) 勝於供養恒沙仏者(しょうおくようごうじゃぶっしゃ)」等の文(もん)のごとし。此(こ)の文の心は、法華経を ばう(謗)じて地獄に堕ちたるは、釈迦仏・阿弥陀仏 等の恒河沙(ごうがしゃ)の仏を供養し、帰依(きえ)渇仰(かつごう)する功徳には百千万倍すぎたりと と(説)かれたり。
(平成新編0283・御書全集0451~0452・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0441~0442・昭和定本[1]0260~0261)
[弘長02(1262)年(佐前)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]