問うて云(い)はく、若(も)し かやうに疑ひ候(そうら)はゞ、我が身は愚者にて侍(はべ)り、万(よろず)の智者の御語(みことば)をば疑ひ、さて信ずる方も無くして空(むな)しく一期(いちご)過(す)ごし侍るべきにや。答(こた)へて云はく、仏の遺言に依法不依人(えほうふえにん)と説かせ給(たま)ひて候へば、経の如(ごと)くに説かざるをば、何(いか)に いみじき人なりとも御信用あるべからず候(そうろう)か。又(また)依了義経(えりょうぎきょう)・不依不了義経(ふえ ふりょうぎきょう)と説かれて候(そうら)へば、愚癡(ぐち)の身にして一代聖教(しょうぎょう)の前後浅深(せんじん)を弁(わきま)へざらん程(ほど)は了義経に付(つ)かせ給ひ候へ。
(平成新編0225・御書全集0009・正宗聖典0315・昭和新定[1]0354・昭和定本[1]0196)
[文応01(1260)年05月28日(佐前)]
[古写本・日興筆 神奈川由井氏]
[※sasameyuki※]