観経(かんぎょう)等の念仏の法門は、法華経を説かせ給(たま)はむ為(ため)の しばらくのしつらひなり。塔(とう)く(組)まむ為の足代(あししろ)の如(ごと)し。而(しか)るを仏法なれば始終(しじゅう)あるべしと思ふ人 大僻案(だいびゃくあん)なり。塔立てゝ後 足代を貴ぶほどの はかなき者なり。又(また)日(ひ)よりも星は明らかと申す者なるべし。此(こ)の人を経に説いて云(い)はく「復(また)教詔(きょうしょう)すと雖(いえど)も而(しか)も信受(しんじゅ)せず、其(そ)の人 命終(みょうじゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入(い)らん」と。
(平成新編1134・御書全集1160・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1674~1675・昭和定本[2]1357)
[建治03(1277)年06月25日(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]