此(こ)の三諦(さんたい)[細雪注、仮諦・空諦・中諦]を三身如来[細雪注、応身如来・報身如来・法身如来]とも云(い)へば、我が心身より外には善悪に付けて かみすぢ(髪筋)計(ばか)りの法もなき物を、されば我が身が頓(やが)て三身即一の本覚の如来にては ありける事なり。
是(これ)を よそに思ふを衆生とも迷ひとも凡夫とも云ふなり。是を我が身の上と知りぬるを如来とも覚(さと)りとも聖人とも智者とも云ふなり。
(平成新編0104~0105・御書全集0410~0411・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0215・昭和定本[3]2031)
[正嘉02(1258)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]