よき師とは、指(さ)したる世間の失(とが)無くして、聊(いささか)の へつら(諂)ふ ことなく、少欲知足にして慈悲あ(有)らん僧の、経文に任(まか)せて法華経を読み持(たも)ちて人をも勧(すす)めて持(たも)たせん僧をば、仏は一切の僧の中に吉(よ)き第一の法師(ほっし)なりと讃(ほ)められたり。吉き檀那(だんな)とは、貴人(きじん)にもよらず賎人(せんにん)をも にく(憎)まず、上にもよらず下をも いやしまず、一切 人をば用(もち)ひずして、一切経の中に法華経を持(たも)たん人をば、一切の人の中に吉き人なりと仏は説き給(たま)へり。吉き法とは、此(こ)の法華経を最為第一(さいい だいいち)の法と説かれたり。已説(いせつ)の経の中にも、今説(こんせつ)の経の中にも、当説(とうせつ)の経の中にも、此の経 第一と見えて候(そうら)へば吉き法なり。
(平成新編1314・御書全集0550~0551・正宗聖典----・昭和新定[2]1636~1637・昭和定本[2]1423)
[弘安01(1278)年"建治03(1277)年03月""建治03(1277)年"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]