此(こ)の御本尊は世尊(せそん)説きお(置)かせ給(たま)ひてのち、二千二百三十余年が間、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に いま(未)だ ひろ(弘)めたる人 候(そうら)はず。漢土の天台・日本の伝教は ほゞ(粗)し(知)ろしめして、いさゝかも ひろ(弘)めさせ給はず。当時こそ ひろ(弘)まらせ給ふべき時にあ(当)たりて候へ。経には上行・無辺行 等こそ い(出)でて ひろ(弘)めさせ給ふべしと見えて候へども、いまだ見えさせ給はず。日蓮は其(そ)の人には候はねども ほゞ(粗)心へ(得)て候へば、地涌の菩薩の い(出)でさせ給ふまでの口ずさみに、あらあら申して況滅度後(きょうめつどご)の ほこさき(矛先)に当たり候(そうろう)なり。
(平成新編1283・御書全集0373~0374・正宗聖典0294・昭和新定[3]1920~1921・昭和定本[2]1586)
[弘安01(1278)年09月(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]