又(また)真実の経の御(おん)ことはり(理)を、代末(よ すえ)になりて仏法あながちに みだ(乱)れば大聖人(だいしょうにん)世に出(い)づべしと見へて候(そうろう)。喩(たと)へば松の しも(霜)の後(のち)に木の王と見へ、菊は草の後に仙草と見へて候。代(よ)の おさ(治)まれるには賢人見えず。代の乱れたるにこそ聖人(しょうにん)・愚人は顕はれ候(そうら)へ。あはれ平左衛門殿・さがみ(相模)殿の日蓮を だに用(もち)ひられて候ひしかば、す(過)ぎにし蒙古国の朝使(つかい)の くび(頸)は よも切らせまい(進)らせ候はじ。くや(悔)しくおはすならん。
(平成新編1270・御書全集1095・正宗聖典----・昭和新定[2]1898・昭和定本[2]1387~1388)
[弘安01(1278)年09月09日"建治03(1277)年09月09日"(佐後)]
[真跡・池上本門寺外一ヶ所(10%未満現存)、古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]